【2016年7月9日】NPO法人日本独立作家同盟セミナー講演録『サルベージ出版に挑戦 』発売開始

こんばんわ、社主”大変ご無沙汰しております“持田です。もうミドルネームに組み込んでいいくらい毎度のご無沙汰展開で恐縮です。年末年始にエンジンかけておきながら夏前まで怠けておりました!怠けきっておりました!猛省しております!猛省に慣れ親しんでおります!

ところで表題通り、昨日7月9日、前回登壇しました2016年1月30日独立作家同盟のセミナーがなんと!「講演録」として発売開始されました!何もこんな参院選の週末じゃなくとも!

7月9日遂に出てしましった!『サルベージ出版に挑戦 NPO法人日本独立作家同盟セミナー講演録』

7月9日遂に出てしまった!『サルベージ出版に挑戦 NPO法人日本独立作家同盟セミナー講演録』

なおKindleだけでなく、各電子書籍ストアで購入可能です。さすが!独立作家同盟!

群雛ポータルサイトからストア一覧あります!

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なにはともあれ、まずは、こちら第二部で登壇いただいた「マガジン航」編集発行人仲俣暁生氏、国会図書館大場利康氏、毎度熱唱殿池田”ゲバラ”敬二氏、機会いただいたNPO法人日本独立作家同盟理事長鷹野凌氏、また会場裏方で様々に働いて下さった皆々様、さらには今回セミナー冊子として作成尽力いただいた株式会社ボイジャー鎌田純子氏、編集対応いただいたトルタル兄さん古田靖氏に、深く頭を垂れて感謝いたします。このように冊子として形になりましたのも、ひとえに皆様のおかげでございます。逆にむしろ「皆様のおかげ」以外何が残ろうか!

実際こちら既に何名かの読者様から「面白かった」なんて有難いお言葉をいただいており、誠に汗顔の至りなのでありますが、僕が実際語った内容といったら、サブタイトル通りの「文学中年」が「サイバー」だけでなくとも紙も含めて「ディギング」して、とりあえず電子で「サルベージ出版に挑戦」した顛末を、前夜突貫のスライド芸に籠めて、当日は幾分のアルコールの霧で誤魔化しつつ捲し立てた「偏愛」であり、単にそれだけでありますから、実際なんてことはなく、私はこうやって生きて居るのです。御年43歳。いろいろあって禁煙しましたが最近酒量が心配です!

なおタイトルの「サルベージ出版」という言葉はボイジャー鎌田氏が散々私が節々で使っていたタームをコンパクトにまとめて變電社第二期を端的に言い表していただけました。變電社とはサルベージ出版社である。素敵じゃないですか。なんか偉そうで何様のつもりって感じです!

そんなわけで今回サルベージ出版とはなんたるか定義を試みてみようかなと。単純なパブリックドメイン出版ではないというところがポイントかもしれません。

僕が常々疑問に思っている点が、セミナーでも話したとおり、また前からもいろいろ話しているとおりに、パブリックドメイン(以後PD略)一般解釈で根強くある著名人・有名作品大好き!大文豪史観なんですが、さあ今年はこんな大御所がPDになる!ってタイトルが戦後散々にリパッケージされ再生産され続けたおかげでマーケットプレイスで1円とかで並んでいる本だったりするわけですね。

無論それらがPDとなり青空文庫のような形でデジタライズされていくことの価値はあります。「公有」という形で誰のものでもあるという状態としてオンラインで解放すること(まるで「成仏」するかのような)は正しいわけですし、それが再利用され再活性化されていくことは心から賛成です。なんですが、そのマーケットプレイスや新古書店で端金で購入できるくらい再生産され続けたタイトルは半ば「公有」みたいなもんではないのか、というと語弊ありますが、手に入りやすいという意味では簡単なお話であり、既にスキャン本含めて大量にそういったKDPにおけるPD商用利用はあるわけです。よって個人的には違う方向を試みたい。

翻って、今回著作集を出させていただいた「野川隆」で考えてみます。その前にまず認識を新たにしていただきたいのは、野川隆とは完全に忘れ去られた作家であったわけではありません。にもかかわらずほぼ読めません。

戦後『昭和文学盛衰史』で高見順が深い鎮魂の念を持って触れたのを皮切りに、大岡昇平・平野謙は野川隆との思い出を語り、江口渙もプロレタリア作家同盟を振り返る回想録の中で「後世に語り伝えねばならない」と結構な分量を割いて『戦旗』非合法時代の野川について語り、また『ゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲム』盟友北園克衛も野川「SFポエム」の業績を語り、稲垣足穂も

私のロバチェフスキー空間も実は野川によって教えられたのである。
 ソヴィエトのルーニク3号が初めてもたらした月の裏面の写真にソヴィエツキー山脈の左側に「ロバチェフスキー」という地名があたえられている。でも、これに先立つ約四十年前、カザン大学の総長であり、非ユークリッド幾何學の大立者でもある人の名を、日本文学の中に取り入れたのは野川隆君であることを諸君に銘記してもらいたい。

——稲垣足穂『「GGPG」の思い出』

と語られるところの野川隆です。また『作文』という同人誌で戦後初めて「野川隆記念号」が組まれたのですが、野川渡満前の盟友たる壺井繁治がこう書いてます。

野川隆は四十四才で死んでおり、今日から見れば実に若死にであるが、早くから詩や評論を書きつづけていたので、相当の量を書いているようにわたしは思われる。詩集として刊行されているものは前記の『九篇詩集』一冊だけだが、何とかして彼の全業績をまとめる時期にきているのではなかろうか。それが完成されれば、モダニズム詩人、アバンギャルド詩人として出発し、アナキズムを経てコミュニスト詩人となった彼の仕事の中から、いろいろと面白い、現代にもじゅうぶん示唆する問題が引き出されるのではなからろうかたとえば「芸術の革命」と「革命の芸術」との関連、その統一的形成の問題は、今日、なおじゅうぶんに解決された問題とはいえぬが野川の全業績があきらかにされれば、この問題についても一つの回答があたえられるかもしれぬという期待がわたしにはもたれる。(一九七四年一月二十三日)

——壺井繁治「野川隆の思い出」『作文』1974(昭和49)年4月

この文章の日付見てのとおり1974年ですから今から42年前です。折に触れて一部では思い出され偲ばれていた野川隆とその作品でありましたが、この42年間、誰も纏めてこなかった。いや42年どころではなく、つまり戦後71年、野川隆の作品はほぼ読めなかった。

理由はなにか。端的に、その作品のほとんどが雑誌(同人誌含む)掲載物しかなく、野川隆は生前、作品集としての本が出版されていないからです。前衛期に戦前朝鮮半島で新興詩人集という形でいくつか収録されて(こちら半島在住の希有な野川隆ファンのお友達から情報いただき感謝しております!)いる他は、芥川賞候補作たる「狗寶」が収録された『満洲国各民族創作選集』、また「幻の詩集」とも言われる『九篇詩集』を私家版として少部数を満洲で発行し、それを中野重治が所持していたおかげで1952年創元社刊行『日本詩人全集』第7巻にそのうちの数編が収録されたくらいです。つまり戦前円本、戦後文学全集のように日本国内で作品集を編まれたことは一度もない。戦後新日本出版社で編纂された『日本プロレタリア文学集』全40巻+別巻『日本プロレタリア文学評論集』全7巻にも驚くことに1作品すら収録もされていません。アバンギャルド期の野川に関してはそれこそ僕の知る限りで、1957年に遠地輝武『現代詩の体験』(酒井書店)で1925年8月『世界詩人』第1號に掲載された「甲殻類建築」が部分収録されているのみ。

ようやく90年代に旧帝国植民地たる「外地」文学研究がすすみ、野川隆の渡満後の作品に関しては評論(例えば川村湊『満洲崩壊「大東亜文学」と作家たち』文藝春秋1997)の中で読めるようになる。そして2000年代に入ってから、渡満後作品は複写によるアンソロジー『日本植民地文学精選集 満洲編』(ゆまに書房2001)に収録されました。そして2000年代後半になってようやく戦前の様々な詩誌が、ゆまに書房、不二出版各社で、復刊復刻(高価)を開始してくれたこと、そして同じく2000年代に国立国会図書館デジタルコレクションなどのデジタルアーカイブで戦前の雑誌を閲覧できる環境が整ったことで、国会図書館・都立図書館・大学図書館でこの「野川隆」という人の大正期新興美術運動前衛詩運動まっただ中の作品も、素人でも掘り返すことができる環境が整ったわけです。だから実は私みたいな人間にしてみると、極めて「現代作家」なんですね。だって最近読んだんですから。こう言うと頗る語弊がありますが、何も生きている作家だけが現代作家ではありますまい。

であらばと、我「文学中年」ですから、ほじほじほじほじほじくり返しに行くわけです。またこれらパブリックドメインなんで大手を振って複写依頼して持ち帰っていいわけですから、原始的なプリントオンデマンド!なんつうて一人ほくほく顔しているわけですね。もっともそう簡単に読めるものではないブツですし、誰もが知る作家というわけでもありませんから、結果、僕一人の楽しみで終わる袋小路なわけです。どこかしらの奇特な版元さんが野川隆集を出してくれないかななんて思っても、この手間ばかりかかり、とくに現代注目集めている作家でもない作品で売れる見込みも立つもんでないわけですから、そう簡単に出すわけない。だったら我が初編纂して出版してしまえばいいじゃないか。

そういうわけで、變電社が野川隆の前期「モダニズム詩人、アバンギャルド詩人として出発し、アナキズムを経てコミュニスト詩人」までを拾遺して今回勝手に纏めて出しました。これ改めて強調しておきますが戦後・戦前通して初編纂です。

2016年1月27日amazonKDPにて變電叢書『野川隆著作集1』刊行開始です!

さる2016年1月27日amazonKDPにて變電叢書『野川隆著作集1』刊行開始!

そして今回ちゃんとEPUB化してまあ正字体のファイルで無茶をやったわけです。外字なんか使って。無論、變電社技術工作隊の皆さんのご支援や、でんでんコンバーターという最強ツール、またそもそもでKDPという電子書籍プラットフォームもあって、僕みたいな素人でもなんとか出せました。

この展開は大きいと我ながら思うわけです。なぜなら出版社に全てを委ねて待つ必要がないのだと僕自身が理解できたということです。だからナマを言うと、こういうことを各学会やら研究者がやってくれたらいいんじゃないのかと素で思っていたりもします。今後ますますこの手のものが出版社からは出てこなくなるだろうからです。

よってまとめますと、變電社が考えるサルベージ出版の勘所は三点です。

  • 戦後出版で再生産され尽くしたものは他の個人・団体に任せたい。
  • そのわりに何故か人気なくデジタル化されることがない不幸な「よい作品」は變電叢書で出したい。
  • また今まで本の形として編纂されていない雑誌掲載作品などは今後も中心に掘りたい。

そしてもう一つ追加しますと、実は一番重要で実はここを一番進めたい領域なのですが、

  • パブリックドメインに限らずオーファンワークスまでをも対象としたい。

つまりパブリックドメインは結果であり、手続きの手間がかからないってだけのラッキーアイテムとし、必要ならば調査・吟味・著作権者捜査、手続きの手間を掛けても、出す。実はパブリックドメインではない作品をどうにも再出版したくなり探り出した著作権継承者と面会してきた件がこの春にあったのですが、諸事情により電子書籍化は無理という結果になりました(だけど紙ならいいよという話に落ち着き、現在調整中です)。

といったわけで、現在いくつか改めて上記3ルールでもって改めてのサルベージ出版を鋭意企画中です。その前に野川隆中期・後記評伝もまとめていかねばであります。また兄の野川孟に関しての事後調査が進んでおり、新事実実と「評伝」更新を実行します。Coming Soon!

さて本日世間では悲喜交々の参院選祭りの日に更新いたしましたが、引き続き變電社ご愛顧たまわらんことよろしくお願い申し上げます!

變電社 社主 持田 泰

【20世紀跨ぎ生まれ世代の兄達1894ー5】二人の「江戸川亂歩」と井東憲『贋造の街』ならびにカフェ「變態光波」開店宣言【都市と變態】

さて今年はもう少し更新頻度上げようと思いつつ腰が常に重い社主ロートル持田でありますが、何も飲んだくれているだけではないのですよ!といきなりボールドで言い訳から始めましたが、變電叢書『野川隆著作集1』のストア配信は今少しお待ちくださいませ!また野川隆中期作品編纂を進めるために諸々図書館詣での日々でありますが、結局諸々脇道寄道に流れてしまう性分でありまして、その代わりと言っちゃなんですが、他の變電叢書候補として活きのいい新人(なんか矛盾的表現)を掘り出してきたので今回「變電叢書」続編を紹介したいと思います。

「變電叢書」第六篇「野川孟著作集」

第一篇 野川隆著作集1 前期詩篇・評論・エッセイ 2015年1月予定
第二篇 野川隆著作集2 中期詩篇・評論・エッセイ 2015年2月予定
第三篇 野川隆著作集3 後期詩篇・小説・評論・エッセイ 2015年3年予定
第四篇 橘不二雄『腕の欠伸』(未定)
第五篇 井東憲詩集(確定)
第六篇 野川孟著作集(未定)
 

第六篇は野川孟、これは既に過去で何遍も触れているように野川隆の兄です。六つ上なので明治28(1895)年生まれ。奇しくも平井太郎(明治27(1894)年10月21日)と一個違いの同世代です。平井太郎とは言わずもがなで江戸川乱歩ですが(来年彼もパブリックドメインになりますので彼の初期短篇は諸々準備進めておきたいところですが)野川孟も既に過去何遍も触れているように初代「江戸川亂歩」です。この点をネットで調べるとミステリ関係者が諸々調べていて、

 辻村義介 はいわゆる「もう一人の江戸川乱歩」である。乱歩が「二銭銅貨」でデビューしたのは1923年だが、その前年、雑誌『エポック』1922年11月号(通巻第二号)の巻頭に「江戸川乱歩」という筆名の人物の「アインシュタインの頌」という詩が掲載されている。この詩の作者が辻村義介という人物だとかつて推定されていた。なおノンフィクションライターの佐藤清彦氏の調査では、辻村義介は当時仲間内から「江戸川乱歩」というあだ名で呼ばれていたが、「アインシュタインの頌」の作者は辻村義介ではなく雑誌『エポック』の編集者であった野川孟およびその弟の野川隆だと推定されるという。

となっていますが、野川隆ではなく兄の孟の方であり、また推定ではなく事実です。稲垣足穂も『「GGPG」の思い出』で証言しているように「亂歩」一番乗りは野川孟です

野川の兄は新聞記者で江戸川乱歩を名乗っていた。ちょうど推理作家平井太郎の売出し中だったから江戸川乱歩は天下に二人いたわけだが、野川は「おれの兄の方が本物である」と云っていた。しかしその時その兄はハルピン方面に去っていた。

稲垣足穂『「GGPG」の思い出』「稲垣足穂全集 第11巻 菟東雑記」2001年8月 筑摩書房

ちなみに「ハルピン」は多分足穂の思い違いでこの頃は朝鮮の北鮮日報記者となって半島に渡っています。そのまま敗戦まで朝鮮半島に居を構えていますが、こちらは『ゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲム』第二巻第三集の編集後記でも「野川孟に手紙を出し度い人は左記へ 朝鮮 清津府敷島町 北鮮日報社内」との記載があります。

朝鮮に渡った段階で創作から手を引いた(バスから降りた)ようでその後の足跡が諸々調べていても不明だったのですが、まさかのネットで発見しました!有難いことに林哲夫氏のブログ(daily-sumus2「脈80号 特集 作家・川崎彰彦」)記事で戦後の足跡が書かれていました(感謝!)。それによると野川孟は戦時は何とか生き延びたようで、終戦後愛知県八日市市滋賀県八日市町(現東近江市) (※1月28日修正 FBページからご指摘いただきました!ありがとうございます!)に引き揚げています。当地で京都新聞支局長等を勤めたようで、そのご子息は野川洸という名の詩人作家であり、川崎彰彦五木寛之と早稲田一文同窓で五木寛之の先のWikipediaでもこんな記載があります。

「こがね虫たちの夜」(1969年)は学生時代の、同学の友人高杉晋吾、三木卓、川崎彰彦、野川洸らとの生活をモデルにしたもの

ただし、ここまで、調べがついているのですが、未だ野川孟の没年月日が不明です。そのためにパブリックドメインとして變電叢書化できるかがまだ不明で現在誠意調査中です。この野川孟は思春期の隆に絶大な文化的影響を与えた隆の「師」と呼んでもいい人物であり『ゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲム』起稿作品も非常に優れており実は野川隆なんかより上手なんではないかとさえ思えています。当時の欧州新興美術の博識をベースにした評論他、気品ある都会的な詩や小説、またたとえば以下の学術参考として画像参照してしまいますが、

野川孟「銀座街頭の夜」『ゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲム』第二年第二集収録

野川孟「銀座街頭の夜」『ゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲム』第二年第二集収録、大正14(1925)年2月

のような弟顔負けの実験詩(孟の若い頃に(「May’13th 22」の記載あり)手慰みで書いたか?)残している他、僕がとくに気に入ったのは『リンジヤ・ロックの生理水』なる小品で、これは誠に都市の夢幻たるリリシズム溢れるSF風(?)作で、これは隆だけでなく野川家は孟も何とか復刊(というかやはり初編纂)したい!一応様々なルートと使って探査中ですが第四篇予定の橘不二雄とは違い、人生行路の痕跡は戦後でもいくつか残っているので何とか判明するかとおもいますので乞うご期待!当然「亂歩」時代からまとめる予定ですよ!

「變電叢書」第五篇「井東憲詩集」

でもう一人これは完全にパブリックドメインであることが判明していいるので復刊させます。野川孟と同年の明治28(1895)年8月27日生まれの詩人です、以下が都立広尾図書館で全頁プリントアウトしてきた詩集表紙ですが

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Oh..表紙名前隠れてしまっていますので中表紙のこちら
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この中表紙の何がいいって「帝国図書館」の角印と丸印で、丸印の方には「帝圖(図の旧字)」と「昭和二・四・七」と見えます。昭和2年3月20日印刷と奥付で見えますから、刷り上がってすぐ内務省検閲に持ち込んだんすかねえ。

さてその名は井東憲。本名伊藤憲。この作家が誠に破天荒な生き様で、東京神楽坂生まれ静岡育ち、17歳(明治44(1911)年)で家出して旅芸人にまざって放浪し19歳まで浅草を遊蕩、結果性病に罹って一念発起し政治家目指して21歳(大正5(1916)年)で明治大学法学科に進学。そこで文學にこじれ古今東西の文學作品を読み漁り、22歳(大正6(1917)年)で大杉栄と出会いアナキズム研究へ、26歳(大正10(1921)年)で『変態心理』(!)の記者となり、『勞働運動』で詩人デビュー。31歳(大正15/昭和元(1926)年)静岡で一度目の結婚したものの東京では詩人英美子と不倫、その間かの梅原北明と『變態十二史シリーズ』に参加し『變態人情史』『變態作家史』(ともにNDLデジコレインターネット公開中)を発し(なお『變態十二史シリーズ』第二巻はマヴォ村山知義『變態藝術史』)、32歳(昭和2(1927)年)に上海渡航、同年英美子との子が生まれ、その子が実は戦後日本人ギタリストとして初めてカーネギーホールに立った世界的ギタリスト中林淳眞であることなど知る由もなく、翌昭和3(1928)年に井東憲は英美子との関係を清算。全日本無產者藝術同盟(ナップ)加盟、34歳で静岡の本妻とも離婚、上海渡航しのちの上海中国ものの嚆矢となる『上海夜話』発行、その後詩小説ルポタージュ翻訳と様々な作品を矢継ぎ早に世に出し、銀座の新興中華研究所所長を勤め、48歳、昭和20(1945)年6月20日。静岡空襲で焼夷弾被弾。8月5日に終戦間際に死去。(上記略歴『井東憲:人と作品』井東憲研究会編参照)

「兄」の世代(1894ー95)

『20世紀跨ぎ生まれ世代』の兄である井東憲と野川孟のまた「二代目」江戸川亂歩たる平井太郎(明治27(1894)年10月21日)この他もざっと眺めて観たところやはり大変面白い。まずは詩人でピックアップしておくと金子光晴(明治28(1895)年12月25日)、西脇順三郎(明治27(1894)年1月20日)、まあここら辺はWikipedeiaの年号調査で出てきますが、あれ?もしかしてさては?と個別に調べたところ、「日本未來派宣言」の平戸廉吉(明治27(1894)年12月9日)、またかの「エロエロ草紙」酒井潔(明治28(1895)年)らも同世代です。驚きました。(また「マッサン」竹鶴政孝も、明治27(1894)年6月20日生まれだったので驚きました。)

しかし、これはさては長らく僕が知りたいと求めていた「震源地」は兄達の方か?この野川隆・村山知義・小林秀雄らの理智的な優等生らしさとも違う、もっと野蛮であり所謂エログロナンセンスのデロリとした「狂味」。と同時に以前、変電社最初期幻(?)の「変電社日記」レビュー「2012-12-31『日本歓楽郷案内』酒井潔」にて書いた「あの歓楽街あの歓楽街と遊歩する酒井の影を追いながら馥郁たる夜の都市を徘徊している」ような「気分」。(なおこの酒井潔『日本歓楽郷案内』は彩流社で完全復刻さらには中公文庫で復刊されると快挙がありましたよ!)

川上澄生と古賀春江

さらに同世代を調べていたら、ドンぴしゃりでこの空気を象徴する画家が二人も突き止めました。ああそうかこことも同世代だったのか!と感慨ひとしおで、個人的に大好物な二人ですが、川上澄生(明治28(1895)年4月10日)と古賀春江:(明治28(1895)年6月18日)。
この二人の同時代の絵を紹介したいわけですが、川上澄生の方は 昭和47(1972)年9月1日までご存命であったために、まだパブリックドメインではないので転載はしないでおきますが、どうぞググってみてくださいませ。

川上澄生『銀座「新東京百景」』昭和4(1929) 年作 東京都現代美術館所蔵

ああ!なんと都市の華やいでいることよ!名曲シュガーベイブ「DOWN TOWN」のイントロが聞こえてきそうだ!
美しいピンク&ブルーに染まるトワイライトの銀座に深く酩酊しながら徘徊したい気分にさせます。こちら所謂創作版画黎明期の名作です。(版画で言えば今度小泉癸巳男も紹介したいところですが、ああやはり明治26(1893)年6月生まれですから彼も同時代の空気を刷ったわけか。)

そしてもう一枚紹介したいのが古賀春江。古賀春江はパブリックドメインなのでそのまま貼りますが、

古賀春江『窓外の化粧』昭和5(1930) 年作 神奈川県立近代美術館所蔵

古賀春江『窓外の化粧』昭和5(1930) 年作 神奈川県立近代美術館所蔵

かの川端康成「末期の眼」(『一草一花 (講談社文芸文庫)』収録)にて「カメレオン」と称された前衛画家です。そのシュールレアリスム期のちょっとクレイジーな(この絵を見る度に「春の陽気で変になった人」を僕は思い浮かべる)高速度回転の躁期の中で冷たい汗を流し続けているような不吉な陽気さとでも言いましょうか。実際に古賀は神経梅毒による進行麻痺が発症する直前期の何か病的な霊感の中で一気呵成に描いていたシュールレアリスム風(実際はキリコ的「形而上絵画」に近いと云われていますが)絵画です。 この3年後の昭和8(1933)年9月10日)に亡くなってますが、その壮絶な最期を晩年親交があった川端康成が先の「末期の眼」で描いています。

この画風も全く違う絵画の上に描かれた美しくて何処か分裂病質な「都市」を思い浮かべていただければ、その「イカレた」井東憲の風味が存分に解るであろうということでお待たせしましたでんでんコンバーターbib/iによる井東憲の詩の紹介します。こちらは「井東憲詩集」にも収録されていますが、野川隆中期調査の中で『日本詩人』という詩誌調査中にたまたま発見した初出の方をオーサリングしました。原文は変わらないながらルビ点の相違がいくつかあります。

井東憲『贋造の街』大正14(1925)年4月10日

井東憲『贋造の街』

いいですねえ。不吉で飄逸。この中で

あの幻想狂の、意識的構成派の畫家は、私のことを……もつとも、そのかけてゐたセルロイドの眼鏡は、ほんの間に合わせに、夜店で買つたものだが……女に捨てられた怜悧な蜻蛉にたとへた。

「意識的構成派の畫家」とは間違いなく村山知義のことですね。本当に皆が近くに居たのだと。もう一丁は『井東憲詩集』から短いものを。

井東憲『變態光波』昭和2(1927)年3月20日

井東憲『變態光波』

おし決めた。将来變電社カフェ「變態光波」を開こう。(變電社第8宣言)。なお井東憲他作品はこちらでもいくつか紹介されていますので是非ご参照ください。しかし、古賀春江も画論や随筆の他「詩」を多く残しており、これ次回、平戸廉吉と古賀春江で變電叢書七・八篇とするのもありやも。

變電社社主 持田泰

【夏の変電書フェア’14】「過渡期の横光」短編集『高架線』『機械』『薔薇』【気分はサンタ・ルチア】

ご無沙汰のレビューでございますが、ガチを行きます。暑い日には暑苦しいことをするに限るという奇怪な信条を持つ社主代理持田です。ひょんなことから某版元某氏と川端康成がいかに「変態」であるかの話で盛り上がって、いい契機だと積読だった小谷野敦『川端康成伝 – 双面の人』を読んだことから、川端康成作品飛んだはずの興味の弾道が、盟友横光利一に着弾して、いろいろ国立国会図書館デジコレ漁っていたところの収穫結果として、今回は「過渡期の横光」ってことで暑苦しくビッグネームを取り上げます。ちなみに言わずもがなの横光利一に関して不明な場合はこちら参考ください。

横光利一 Wikipedia

もっとも「過渡期の横光」と言いながら横光利一自体が熱を帯びた時代の過渡期の文学状況そのものでもあるかのような作家ですが、その中でも「真夏の最高気温」を取り上げようではないか、ということです。夏フェアですから。もちろん横光ともなれば青空文庫でも結構数収録されているのですが、前から指摘していることですが、文脈がなくアイウエオ順で並ぶことで、その作家の重要な過渡期がわからない。またやはりこれも重要なことですが、青空文庫でも抜け漏れも多い。にもかかわらず「横光利一はこれだけ読め」なる上目線のわりには単なる青空文庫を編纂しただけの電子書籍が売られているのを見ると、まあ好き勝手にやっていただいて結構でありますが、一応変電社としては横光利一ではわりと重要作品の抜けが、青空文庫また戦後編纂された各種文庫本でも多いよ!てことを指摘しておきます。

だからこそ、そんな時は開いててよかっ国立国会図書館近代デジタルライブラリーでございます。
ありがとうデジコレ、I♡NDL

横光利一の代表的な「真夏日」作品といえば、新感覚派の代表作品であり、かの宮沢章夫氏がを11年かけて読んだことで伊藤整文学賞評論部門取ったこと(『時間のかかる読書―横光利一『機械』を巡る素晴らしきぐずぐず』)でも有名な『機械』1930(昭和5)年でありますが、その『機械』を含めて5作品に対して、先の川端は『昭和五年の芸術派作家及び作品』(「新潮」1933(昭5)年2月)にて「更生的な冒険を重ねながら、新しい文学に希望を与へ」たと書いています。その5作品とは何かというと『高架線』『』『機械』『鞭』『寝園』です。

これらの5作品は全て横光が芥川龍之介に唆されて上海滞在後に挑んだ初の長編『上海』の執筆中にポロポロと生み出された作品群であり、伊藤整を始めとして当時の文壇に大きな衝撃を与えたわけですが、この時期の横光作品は現在において青空文庫や汎用文庫本等で簡単に読めるものが実は多くはありません。『』『機械』『寝園』くらいなもので(なお『寝園』は今だ青空文庫化されていませんが、講談社文芸文庫で電子版になっていたのでそのリンクを張ってます)、他は大学図書館で分厚い全集でも漁らない限り読めません。上海滞在からかの悪名高い『純粋小説論』(1935(昭和10)年)までを「過渡期の横光」として考えるとその期間に熱を帯びた面白い作品が結構多数あります。

その意味で刊行本ごとまるっとスキャン保存している国立国会図書館デジタルコレクション近代デジタルライブラリーは最高でございます。当時の本がそのまま読めるよ!データでねというのは実に偉業ではありませんか!

なわけで私誠に勝手ながら「【夏の変電書フェア’14】「過渡期の横光」短編集」と題しまして三つほど見繕いました。

その前に、正月のリブート宣言1回目あたりから恒例(?)の国立国会図書館歴史音源れきおんから「記事の気分」としてのBGM(スマホでは聴けないけど)を選定しているわけですが、今回も見つけました。イタリアナポリ民謡和訳の「サンタ・ルチア」(作詞・作曲・編曲・実演家:羽衣歌子/製作者(レーベル):ビクター/発売年月日:1932年8月)。こちらを本日のBGMといたします!過渡期の横光と同時代だから横光自体も蓄音機から流れるこの音を聴いていたかもしれませんよ!またこれを聴きながら後段で紹介します『鞭』を読むと上等なコメディ(ブラック)を読んでいるかのような気分になりますぜ!これは試してもらいたい!

横光利一『高架線

高架線表紙





高架線』(コマ数152)
著者:横光利一
発行日:昭和5(1930)年 出版社:新潮社
国立国会図書館デジタルコレクション






まずこちらは先の川端が上げた5作品に入る『高架線』がタイトル通り収録されておりますが、他にも『笑った皇后』『負けた良人』『古い筆』『恐ろしき花』など青空文庫や汎用版文庫本では読めない短編が多数あります。『高架線』は『機械』直前期の横光の綿密な文体及び構成とその上海経由の都市の汚穢なる非理想を明確に切り取っておりますが、ざっくり内容説明しておきますと、ある路線の高架線を建造するための鉄材置き場が浮浪者たちの住処になっており、その浮浪者を監督する爺さんと、まだ地上路線が走っているのでその踏み切り番の爺さんの友情世話物ですが、その「高架線」が出来てしまえば二人は失業するというアイロニカルな設定のその社会性と、ネチネチとして改行の少ない文体、またその人物を含めて事物を「眺めている」ような映画的ともとれる描写は、「新感覚派」と呼ばれた一派のある特徴的なスタイルでもあり完成形です。『笑った皇后』という戯曲ではローマ皇帝暴君ネロの盛衰の題材にしながらラストシーンは非常に映像的で、またこの中でも妻の「不貞」に関するトライアングルが『負けた良人』また『烏』でもこの時期横光が常に取り上げるテーマですが、綿密に回りくどく「寝取られ(NTR)」の自意識を語りながら最後は非常に映像的な描写で唐突に終わります。

横光利一『機械

機械表紙





機械』(コマ数152)
著者:横光利一
発行日:昭和6(1931)年 出版社:白水社
国立国会図書館デジタルコレクション






続いて表題作『機械』を含むこちら白水社の短編集ですが、この中では川端の指摘した『』が入ってます。また青空にはない『眼に見えた虱』『父母の眞似』『悪魔』が入っており『悪魔』に関してはやはり重要作品です。

』は上海便船で事務長宛一等船客の某が自殺のおそれがあると無線電信が届いたところから始まるショートストーリーですが面白いですねえ。

しかし何が贅沢だからと云って他人に自分の自殺するのを報しらしめるほどの贅沢はこの世にはなかろう、全く無駄なことをあかの他人にさせ続けてそして最後は自分はのんきに死のうといふのではないか。生きてゐるものと云うのは死ぬもののために生きてゐるのではないなどど私ひとり旨の中で乙竹順吉にぷんぷんし始めて来たのだが、それにしてもこれから明日の三時まで饒舌り続けてゐなければならぬと云ふのは死と競争してゐるようなものである。ー横光利一『

この頃の横光の描くところの主人公は非常に飄逸で滑稽です。またその高速度に回転する自意識は心情よりも理知であるので、非常に乾いていて酷薄であるがゆえに、単なるユーモアで終わらせない残酷な決着をつける傾向があり、僕は漱石初期作品印象「猫」なんかをなんとなく思うところです。おなじく『悪魔』においてはどうやら好き同士でありながらお互いを「悪魔」と認識する教会におけるツンデレ男女ですが、男子視点のネチネチとした自意識でありながら不思議と滑稽です。そして不思議と残酷です。こういった部分は表題作『機械』でもあるのですが、おそらく『機械』だけではよくわからないこの時期の「横光らしさ」です。

横光利一『薔薇

薔薇表紙





薔薇』(コマ数128)
著者:横光利一
シリーズ:岩波新書 第21
発行日:昭和13(1938)年 出版社:岩波書店
国立国会図書館デジタルコレクション






少し変わり種で変電的な品を。こちら岩波新書で刊行された横光利一短編集です。岩波新書のWikipediaにも書いてるところ引用しますと「1938年(昭和13年)11月20日に岩波書店が創刊した新書シリーズである。古典を中心とした岩波文庫に対し、書き下ろし作品による一般啓蒙書を廉価で提供することを目的に創刊され、新書と呼ばれる出版形態の創始」ですが、初期に今と違って文芸作品をシリーズに入れていたんですね。ちなみに旧赤21がこの横光『薔薇』ですが、次の旧赤22が川端『抒情歌』です(さらには旧赤18里見弴『荊棘の冠』、旧赤19山本有三『瘤』旧赤20が久保田万太郎『春泥・花冷え』)。また一部面白い発見として、奥付が初版の13年11月15日ですが、

薔薇奥付

「りいち」ではなくて本名の「としかず」でルビが振られていました。※もっとも昔はこの音読み訓読みはおおらかな時代だったので間違いというわけではないかとは思います。

さて本短編集は私が設定している「過渡期の横光」期の1928(昭和3)年〜1935(昭和10)年から少し逸れた1938(昭和13)年出版ですが、編纂されているのは過渡期の短編・随筆です。やはり青空文庫にない『薔薇』1932(昭和7)年6月『雪解』1933(昭和8)年3月『歴史』1931(昭和6)10月等名品があります。

まず『薔薇』は横光が1928(昭和3)年に中学の後輩を訪ねて上海へ渡った事実を脚色構成されてますが、その後輩が持っていた薔薇の中の美少女の二葉の写真から、東京に結婚して住むその女性に手紙を届ける伝書鳩の役目を引き受けつつ、その恋を邪魔しようとしている、また入り組んだ主人公の話ですが、この富んだ設定は非常に何か江戸川乱歩的な感じがします。

雪解』は「ゆきげ」と読みますが横光自身の三重県伊賀上野の下宿時代の初恋の話です。こちら伊賀上野観光ではどうやら必ず紹介されているようですが(紹介サイトも散見)その作品が青空文庫でも汎用文庫本でもとくに収録されていないという現実に驚きます。

 卓二が少年期もそろそろ終わりに近づいてゐた日のころである。彼は城を後にした街の通を歩いていくと、突然十二、三になる一人の少女が彼の傍を脱兎のごとく駆けぬけて、急にくるりとこちらを向くと、腰を折って笑ひ出した。彼はそれがあまりにも不意の出来事だったので、その少女の動作を思わずぢつと眺めずにはをられなかつた。多分少女は後から追つかけて来た仲間の者をからかふつもりらしく、卓二が傍まで歩きつづけていつてもまだなかなか笑ひとめそうもなかつた。
 卓二がその少女を見てから停つてゐる彼女を追ひ抜いてしまふまで、僅か二十秒とは経つてゐないにちがひなかつたが、彼は町を歩いてゐて、その少女ほど美しいと思つた少女を見たことがなつた。彼はむしろそのとき、たぢたぢと恐れを抱いてその少女の傍を通りすぎたほどであるが、彼女の少女らしいといふ少女ではなく、十二、三歳でもう美しい大人の表情をしていた。ー横光利一『雪解

という素敵な出だしの可憐な初恋モノですが、そのモデルと宮田おかつは横光が早稲田大学英文科入学後作品を発表し始めた頃に急逝しているそうです。

つづいて『歴史(はるぴん記)』というエッセイが個人的に一番の収穫で、外地日本の残酷な史実の中の一抹のメルヘンを感じるものです。横光が1930(昭和5)年9月に大連、ハルピンまで出向いて紀行を書きたいと思いながら諸事情で果たせず印象を忘れないためにハルピン日日新聞の古新聞を送ってもらいながら読んだ在ハルピン日本人の古老たちの話「ハルピン草分座談会」なるが特集が面白く

それ故このやうな珍しい話はそのままにしておくのも惜しいと思ひ小説の形にでも書いてみようと思ってゐたのだが、小説とするにはあまりにも實話的な面白さの方が勝ちすぎるので、今まで書かずにそのままにしておいた。ー横光利一『歴史(はるぴん記)

それをさらっと伝聞随筆という形で一筆書きに描いているのですが、明治期からのハルピンにおける日本人入植の歴史は確かに非常に面白く、明治期は二葉亭四迷が密偵的にハルピンの街を暗躍していたりした事実や、日露戦争開戦に日本人引き揚げ命令が出た際の逸話は、確かに「實話的な面白さの方が勝ちすぎ」ています。引き揚げの話は、最後まで逃げる金がなくてぐずぐずと残留していた日本人達がシベリア鉄道欧州経由で退去させられ、集団で銃殺されるものと思っていたら、非常に丁重に親切にロシア人将校らに扱われ、また退去経路で各地で中国人として潜んでいた日本人(主に売笑婦たちとその関係者)が合流して雪だるま式に増え続け最終1000名近い日本人が欧州へ退去して行く中で、途中でお金がつきたら街で働かせてもらったり、さらには戦況が日本がロシアに勝利していることで、通過する街街でバンザイコールで歓迎歓待されドイツを抜けて地中海を経由して日本に帰国しているが、

その間ハルピンを立ってから9ヶ月もかかっているが、彼等の間で台湾まで来るまでに二百組に新しい夫婦が出来上がってゐて、それを今でも引揚夫婦といふのださうであるが、そのまま今もなほずっと夫婦生活を続けてゐるものも澤山あるとのことである。ー横光利一『歴史(はるぴん記)

というほのぼのとした史実が書かれていますが、この作品の初出の1931(昭和6)年から14年後、日本の敗戦及び満洲国の崩壊による大陸引揚げ者たちの悲惨な史実とは真逆の性質ゆえに強くメルヘンを感じるわけです。最後横光はこのタイトル「歴史」についてこう述懐いたします。

この題に歴史といふ見出しをつけたのはあまりにも大げさだと思うふが、しかし、私は集團の歴史を事實そのままに書いてみたのは今が初めてのことなので、書き進めて行くに従つて、歴史というものは「事實」と少しも違はないにもかかわらず、「事實」と違うところは「事實」の取捨選擇をすることにあると今さらに氣がついたからである。つまりこの一篇は取捨選擇といふ意味にとってもらへば幸いである。ー横光利一『歴史(はるぴん記)

なのでこの裏には悲惨な話の「取捨選択」もできるというニュアンスかと思われますが、ここでそろそろ記事の〆として強引に私の今の変電活動へと接合すると「取捨選択」でもって忘れされている「事実」としての「作品」は、例えば今回横光作品を国立国会図書館デジタルコレクションを漁ることで、手間さえ惜しまなければ諸々楽しい「事実=作品」を拾い上げることができる時代になったなと。つまるとこと各人が大量にある「裸の事実=データ」群の前で、各人思うところの「歴史」を編纂してしまええるような時代になったわけですね。楽しい。よって変電社持田も引き続き取捨選択される前のデータアーカイブへ果敢にサルベージを敢行し、読んでみて楽しい作品の歴史を露出させてまいります。【夏の変電書フェア’14】はまだ続くよ!

社主代理 持田 泰