【夏の変電書フェア’14】「野川隆の放物線」小品『田舎驛にて』『作品第三』【でんでんコンバーター×BiB/iでEPUB初公開】

さて前回に続きガチの「夏の変電書フェア」で参りますが、さらにガチです夏休み中の変電社社主代理持田です。今回は終戦記念日8月15日にもちなみまして、改めまして渡満作家野川隆にフォーカスし「野川隆の放物線」というタイトルに思いを込めて進めたいと思いますが、改めて彼の軌跡を高見順の一文から。

文春文庫さんへ復刊希望。またそろそろPDなので電子書籍化を目論んでいます。

文春文庫さんへ復刊希望。またそろそろPDなので変電社としては電子書籍化を目論んでいますよ!

 
この北園克衛と『ゲエ・ギム・ギガム・プルルル・ギムゲム』をやっていた野川隆は藝術左翼から左翼藝術へと轉換して『ナップ』に参加、のちに満洲で捕らえられて獄死した。私はここで野川隆の靈に脱帽するとともに、生きている北園克衛の操守にも脱帽せざる得ないのである。

—高見順『昭和文学盛衰史

言わずもがなの北園克衛は戦後も「VOU」や「プラスティックポエム」で世界的にも有名な前衛詩人ですが、その北園が本名「橋本健吉」時代に詩誌『ゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲム』(GGPG)を一緒に作っていたのが今回の野川隆です。1923年関東大震災直前期から昭和初期に一斉に湧いて出た前衛詩運動ならびに新興美術運動のラッシュの中で、稲垣足穂村山知義とそうそうたる面子が寄稿した日本のアバンギャルド芸術運動史でも重要な位置を占める詩誌です。そこから作家人生をスタートさせた野川は「藝術左翼から左翼藝術へと轉換して『ナップ』」へ至り、運動瓦解後、1938(昭和13)年秋に満洲に渡ります。高見はまた別のところでも、

 私はまた、満洲で死んだ野川隆のことを思い出すのである、これは敗戦前に死んだのであるが、しかし、これも自然死ではなかった。野川隆は私のこの回顧記に、昭和初期のダダ的詩人として登場しているが、のちに、いわゆる藝術革命派から革命藝術家になってナップに参加した。その活動中に逮捕され、釋放後、満洲に渡った。その満洲でふたたび治安維持法違反の疑いで検挙され、獄中で発病、病院に移されたが、そのときはもう再起不能であった。昭和19年歿、四十四歳。

—高見順『昭和文学盛衰史

そういったわけで野川隆、上記人生経路を経て1944年に没していますので著作権は切れておりますが、現代においてはマイナー過ぎるようで青空文庫には当然収録されておらず、また当然一般流通の電子書籍にあるわけなく、そもそも紙でも現在入手しやすいもので『満洲の光と影 (コレクション戦争×文学)』収録の戦前芥川賞候補作『狗宝』と、少し前に出た川村湊『満洲崩壊―「大東亜文学」と作家たち』の野川隆の章で数編の詩が紹介されていくらいです。

しかしさすが国立国会図書館デジコレでは読めます。もっとも読めるには読めても、在満作家アンソロジーかそのまま雑誌に掲載作品が多いために、他の著作者との関係上、国立国会図書館本館利用か、図書館送信サービス利用館でしか読むことができません(国立国会図書館デジタルコレクション「野川隆」検索結果)。

「インターネット公開」がない!残念!

「インターネット公開」がない!残念!

で外部から見ようとすると以下のようになります。

「この資料は、国立国会図書館および図書館送信参加館の館内でご覧いただけます。複写箇所が特定できる場合は、遠隔複写サービスもご利用いただけます(歴史的音源、電子書籍・電子雑誌を除く)。」

「この資料は、国立国会図書館および図書館送信参加館の館内でご覧いただけます。複写箇所が特定できる場合は、遠隔複写サービスもご利用いただけます(歴史的音源、電子書籍・電子雑誌を除く)。」

とはいえ個人的趣味として先日の図書館送信サービスに取材(【行って来たよ!】国立国会図書館図書館向けデジタル化資料送信サービス体験レポ【美味しいマカロニ】【また行って来たよ!】続・国立国会図書館図書館向けデジタル化資料送信サービス体験レポ【いつも陽気で】)以来、実はポロポロと野川隆作品を複写サービス利用で持ち帰っており、結構數の作品コピーが手元にあります。

で、こちらを長らく紹介したいなと思ってはいたものの、上記理由によって、いつのもように国立国会図書館デジコレサイトに飛ばしてオンライン誘導させてもコンテンツが読めませんから、これは弱った「変電書」ではないなと。にもかかわらず、複写サービスコピー用紙からレビューを書いてしまった暁には、当変電社サイトは単に「複写してまでも読みたい近現代文学マニアックおじさんブログ」として侘しい一生を終えるのではないかと。※「既にそうだろう」という誹りは受け付けておりません。

なので変電社社主代理としてここで「名折れてたまるか」ということで一念発起し、コピー用紙からテキストを起こして、でんでんコンバーターにてEPUB生成し、さらにはBiB/iをサイト導入し、変電社サイト内部で作品をビューワー上で読める環境を構築しました!やったぞ!バンザイ!野川隆が電子書籍.epubで読めるのは変電社だけ!手打ちなのでどれも短いんですけれども!まとめて近日KDPで変電叢書『野川隆選集』として配布しようかと企んでおります!Coming Soon!

※なおあらためて、でんでんコンバーター高瀬 ‏@lost_and_found 氏ならびに、BiB/i松島まっつん @satorumurmur 氏、お二人の素晴らしいお仕事に対して最敬礼を送らさせて頂きます。

野川隆「電子書籍」レビュー

さて野川隆「電書」レビューを開始したいと思いますが、まず先の高見順が戦前の昭和文学史を振り返る連載の中で「野川隆は藝術左翼から左翼藝術へと轉換して『ナップ』に参加、のちに満洲で捕らえられて獄死」と数回に渡り熱く語るところの背景に触れておきます。一言で云えば、この人生行程こそが、あの時代の若い表現者たちのある端的な「典型」であったということです。

アバンギャルド詩の街のチンピラからナップの「闘士」へ。そして検挙逮捕されて運動を挫折し、マルクス主義を完全に捨て「転向」し釈放されるものもいれば「主義は捨てないが実践運動には参加しない」という「準転向」という形で釈放されるものがいる。で後者は「内地はうるさいから」と満洲へ落ちのびる者もいる。例えば戦後「現代画廊」主であり「気まぐれ美術館」美術エッセイで熱狂的な読者も多い洲之内徹も同じく、左翼活動から転向し情報将校として軍部に雇われ1938年秋(野川と同じ頃)に大陸に渡っています。野川より年齢は10歳下になりますが、彼は軍属として日中戦地で働いて生きて内地の土を踏んだので、その当時の作品を書き残しいくつかの作品は戦後芥川賞候補になっています。

そういった視点から「野川隆」という砲弾が20年代アバンギャルド運動の砲台から高く発射され大きな弧を描いて遠く海を超えて遥か北満の大地に確かに着弾したという事実を作品から追ってみたいと考えています。今は忘れ去れた「野川隆の放物線」です。まずはその着弾地点から。

野川隆『田舎驛にて

『田舎驛にて』


野川隆『田舎驛にて』






掲載誌『北窗. 3(2/3)』p94~98(50コマ目)
発行日:昭和16(1941-05) 
出版社:満鉄哈爾浜図書館
国立国会図書館デジタルコレクション
※「国立国会図書館/図書館送信参加館内公開」コンテンツのため複写サービス利用



この非常に短い5頁ほどの小品『田舎驛にて』が掲載された『北窗(ほくそ)』の発行元が満鉄哈爾浜(ハルピン)図書館ですが、こちらに関してはその図書館長である竹内正一の『哈爾賓入城』は以前にレビューを書きました。その同時代の作品となります。それでありながら竹内正一が描かなかったところの満洲の生活者が確かに写されています。生活者は満人(中国人)だけでなく書き手自身である日本人をも指しています。「噯、噯、老頭兒呀!這邊來、來々!」と支那(中国)語を巧みに操る「私」(竹内の作品にはロシア語巧みに使う日本人は出てきましたが、中国語喋る日本人は一人も出てきません)は、「合作社」の仕事をしている「協和會服」を着た日本人です。 この「合作社」とは何かというと、神戸大学付属図書館新聞記事文庫にやはりいい記事がありました。

誕生近き興農合作社 新京にて 島崎特派員(大阪朝日新聞 1940.3.2-3)

誕生近き興農合作社 新京にて 島崎特派員(大阪朝日新聞 1940.3.2-3)

誕生近き興農合作社 人口の八割を占める農民大衆を、半封建的な旧機構の桎梏から解放して、新体制の下に理想農村を創造しようという建国精神具現のための農村協同組合たる農事合作社と、高利貸資本の重圧から農民を救出しようという主旨の下に設立された近代的金融機関としての金融合作社、この両合作社を統合して、新たに興農合作社を作ることになったのである —誕生近き興農合作社 新京にて島崎特派員(大阪朝日新聞 1940.3.2-3)

いわゆる満人貧農による協同組合を組織して生産力を向上させ彼らの貧困救済をはかる運動が「合作社」です。 また「私」が着ている「協和會服」とは何かと云うと、満洲国政府と表裏となって「五族協和」の「王道楽土」の建設の実現を図るための政治教化団体「満州国協和会」というものがあり(※言わずもがなで甘粕正彦が総務部長)その正装が「協和會服」です。国民服、人民服(中山服)とよく似たものですが、Googleイメージ検索でこんな感じのものですが、「協和会服」より「協和服」の方がひっかかりますね

野川隆は此の「合作社」運動の中で再度治安維持法違反嫌疑で投獄されます。2008年にでっち上げであったことも証明された満鉄調査部事件の第二次検挙されたメンバーの一人として連座していた(もしくはその煽りの中での逮捕)ようです。
※2014年8月13日訂正追記:上記はその後の調査で私の完全なる勘違いであることが判明です。野川隆は以下引用の1941年11月4日「合作社事件」における「50名余の運動関係者が検挙」のうちの一人です(参考:川村湊『満洲崩壊―「大東亜文学」と作家たち』)

橘樸の影響を受けていた『満州評論』編集長・佐藤大四郎は、1937年1月以降、北満州の浜江省綏化県で、貧農を農事合作社(協同組合)に組織して生産力を向上させ彼らの救済をはかる運動に従事していた。満州国協和会中央本部実践科主任・平賀貞夫らの逮捕からこの運動は日本人「前歴者」が結集したことで関東憲兵隊(関東軍司令官隷下の軍令憲兵。憲兵司令官指揮下ではない)に目をつけられ、共産主義運動の嫌疑で佐藤のほか協和会の鈴木小兵衛、満鉄調査部の花房森・佐藤晴生など50名余の運動関係者が検挙された(合作社事件、1941年11月)。

なお、この満鉄調査部事件/合作社事件のWikipediaでも記載されている。

満鉄調査部は、1939年の拡充に伴う人員増強により、日本内地で活動の場を失った左翼からの転向者が多数就職していた。彼らは、内地ではもはや不可能となったマルクス主義的方法による社会調査・分析に従事しており、そのことが関東軍の憲兵隊を中心とする満州国治安当局からの監視の目を強めさせることになった。

これは先の洲之内徹なんかも全く同じ任務で陸軍の情報将校として中国北東部に着任しています。その彼の仕事ぶりが芥川賞候補作『棗の木の下』『砂』(「洲之内徹文学集成」収録)でも読めます。余談ですが、芥川賞選考会では「不道徳」の誹りを受けたものです。日本人が戦時下中国大陸で何をしてきたのか、また戦場が実に日常と地続きであることがこういう作品を読むといたく分かります。

さて『田舎驛』作品に話を戻したいと思いますが、まず文末から。(八・三・二六)と記載があります。これは「康徳8年3月26日」のことであろうと予測され、「康徳」は満洲国の年号で建国から8年、昭和で16年、西暦で1941年の3月26日。で、どんな年であったかというと、日中戦争は前線の拡大化泥沼化の一途を辿る一方で、対米交渉も完全に行き詰まり、援蒋ルートの遮断と「油」のために「南進」へと急速に転がり落ちていく時代です。まさにその年の冬12月8日未明、日本帝国海軍航空隊が真珠湾を奇襲し太平洋戦争が勃発します。ある意味日本が「詰んでしまった」年です。

そんな時代の北満の大地で「協和會服」を身にまとい「合作社」で従事する「私」の鉄道三等客車の中でのちささやかなエピソードになります。ここに戦争の影はありません。大陸における戦時下の満洲国農村近辺での日常があります。「私」は「親切な日本人」です。あの時代でなお大勢居たであろう無名の「親切な日本人」の中の一人です。そんな「私」でも意図せずして満人モラルを「結局、まあ、文化水準が低いんですね、……」と漏らし、すぐ「教育が普及してないんですね」と言い直します。しかし「さうですな。全くですァ、教育ちうもんがまるきり無いんやからなァ」に日本人乗客「五十男」の同意されてどこか叱られた気分になります(しかし現在の中国に対する言説でもこういう会話が普通に飛び交っていることを考えると、我々はこの73年の間に何か学べたことはあったのでしょうか)。そして駅についた時に馬車の取り合いで満人が大混雑するホームを眺めるだけしかできない「私」に「五十男」がこう云う

「これですァ!……」とさつきからすつかり機嫌をよくしてお喋りになつた五十男は私の肩を手袋の指先で突ついて云ふのである。「なつちよらんですなァ、交通道徳ちうもんがないんやから……」  そして大きく左右に肩をゆすぶりフェルトの長靴をがに股にざりざりと五六歩すすませると、突然しゃがれた聲でどなつた。 「こら、こら、どかんかい!……なんや、なんや、ほら、ならべ、ならべ、ならばんかい!……」  それから、これはまた恐ろしく身體つきに似合はぬ小さな手提カバンを右手で中空にひとふりすると矢庭に群衆のなかに跳びこんで、皮につゝまれた黒光する兩肩でさかんにぐいぐいと押しこくりながら人間の波間を前方へとおよいで行つた。

—野川隆『田舎驛にて

この「五十男」が満人に対して「教育指導」を行わんとするところの日本人の文化的「横暴」を「私」は呆然と見送ります。その見送られた「横暴」はそのまま北東中国戦地また南洋の戦地で繰り広げられたわけですが、この「私」の「置いていかれてしまった感」は痛切です。「協和會服」を纏い「合作社」的理想を抱えた「親切な日本人」が北満の寒空の田舎駅で21世紀の今でなお、ぼんやりと佇んでいるかのように思えてなりません。 さて着弾地点における野川隆に続いて、今度は発射台の野川隆を紹介します。

野川隆『作品第三(宇宙・人間及想像)

『作品第三(宇宙・人間及想像)』


野川隆『作品第三(宇宙・人間及想像)』






掲載誌『エポック. (1月號)(4)』p52~59(33コマ目)
発行日:大正12年(1923-01)
出版社:エポック社
国立国会図書館デジタルコレクション
※「国立国会図書館/図書館送信参加館内公開」コンテンツのため複写サービス利用


この掲載誌『エポック』はこれは先の『ゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲム』(GGPG)発刊が同じエポック社からその年の6月なのですが、その前身にあたる野川隆・孟兄弟、大正期新興美術運動の中心的人物玉村善之助らと一緒に出したもので、目次を見ると、「ダダ・ダダ」「未來派の宣言に就いて」などなど当時の欧州で盛んに破裂していた新興芸術運動の紹介から評論・翻訳など展開しています。その中で野川隆が22歳の頃に書いたとおぼしきものが、この『作品第三(宇宙・人間及想像)』です。

以前ドン・ザッキーを取り上げた際(林芙美子と野村吉哉とドン・ザッキーと「詩」の時代 【レビュアー:持田泰】)にも書きましたが、あの時代特有の「誇大妄想」感溢れる「内面」が迸るように吐露され、その「藝術左翼」サイドから果敢に何か触れようと「狂」じていて、そゆえにリリシズム溢れています。ただ「若い作品」です。

ちょうど同じ頃、1923(大正13)年7月かの小林秀雄がプレ批評家時代に『一つの脳髄』という小説を残していますが、個人的にその印象と良く似てるなと思ったところ、実は小林秀雄の誕生日が1902(明治35)年4月11日で、野川隆が1901(明治34)年4月23日なので二人は同世代でした。同じ世代の「若い詩人」たちにとって高度に回転した「自意識の球体」の出口の無さの神経衰弱の果てに、出会ってしまうナニモノかがおそらくは彼等のリアリティの担保になったのだと思う訳ですが、おそらくそこが「どん詰り」であることに二人は気づいたかのような終わり方です。

しかしこの『作品第三(宇宙・人間及想像)』の22歳の「砲台」からから『田舎驛にて』の40歳の「着弾地点」を思うと、野川隆という作家は本当に遠くまで飛んだなあとその射程距離に驚きます。

「野川隆は藝術左翼から左翼藝術へと轉換して『ナップ』に参加、のちに満洲で捕らえられて獄死」

上記一文の中に託された放物線は野川の他作品でもっと細かく辿れます。実は今回他にエポック時代から満洲で生前唯一残した非売品の詩集『九篇詩集』(※なお聞く所では「50万円以上」で取引される幻の超ド級レアアイテム)収録の詩編もいくつかEPUB化しておりますが、今回こちらの記事が長くなってしまっているので、今月8月に発行される(はず!)の電誌トルタル五号にて変電社「野川隆」特集として公開させていただきます!是非ともCheck This Out!

今後もテキスト起こしてEPUB化宣言(変電社第五宣言)

さて、前回に続き一人の作家に張り付いて、なお今回は国立国会図書館複写サービスからテキスト起こしてepub化までしたわけですが、今後も短いものであれば「でんでんコンバーター×BiB/i公開」を実施したいと考えています。なぜならば、昨今のデジタル化インターネッツ化の荒波の中で、さもすれば「パブリックドメイン」がなんのかんのと話題になりがら、端で見ていると、どうも簡単な形で、つまり戦後書籍化されててデータ化容易なものから青空文庫などで公開されていて、それはもちろんまったくもって良いこと有難いことでありながら、そこにあったはずの価値付けや文脈が一切なく並ぶことに対しては、変電社社主代理として前回の「過渡期の横光」記事でも違和感を表明しました。

今回も非常にボリューミーなレビューになりましたが、以後も、コンテンツを語る時にコンテクスト抜きで語れてしまう時代への反逆精神、すなわち「偏愛」でもってして、自ら「変な電子書籍」の作成してまでも、皆様に紹介したいと思います。

最後に、今回まとめた野川隆の作品、またそれ以外複写コピーで読んで感銘をうけたものの長いのでテキスト起こしを断念した諸作品含めて、その作品に宿りし「野川隆の靈」対して、私も末席ながら「脱帽」をさせていただきます。

社主代理 持田泰

【夏の変電書フェア’14】「過渡期の横光」短編集『高架線』『機械』『薔薇』【気分はサンタ・ルチア】

ご無沙汰のレビューでございますが、ガチを行きます。暑い日には暑苦しいことをするに限るという奇怪な信条を持つ社主代理持田です。ひょんなことから某版元某氏と川端康成がいかに「変態」であるかの話で盛り上がって、いい契機だと積読だった小谷野敦『川端康成伝 – 双面の人』を読んだことから、川端康成作品飛んだはずの興味の弾道が、盟友横光利一に着弾して、いろいろ国立国会図書館デジコレ漁っていたところの収穫結果として、今回は「過渡期の横光」ってことで暑苦しくビッグネームを取り上げます。ちなみに言わずもがなの横光利一に関して不明な場合はこちら参考ください。

横光利一 Wikipedia

もっとも「過渡期の横光」と言いながら横光利一自体が熱を帯びた時代の過渡期の文学状況そのものでもあるかのような作家ですが、その中でも「真夏の最高気温」を取り上げようではないか、ということです。夏フェアですから。もちろん横光ともなれば青空文庫でも結構数収録されているのですが、前から指摘していることですが、文脈がなくアイウエオ順で並ぶことで、その作家の重要な過渡期がわからない。またやはりこれも重要なことですが、青空文庫でも抜け漏れも多い。にもかかわらず「横光利一はこれだけ読め」なる上目線のわりには単なる青空文庫を編纂しただけの電子書籍が売られているのを見ると、まあ好き勝手にやっていただいて結構でありますが、一応変電社としては横光利一ではわりと重要作品の抜けが、青空文庫また戦後編纂された各種文庫本でも多いよ!てことを指摘しておきます。

だからこそ、そんな時は開いててよかっ国立国会図書館近代デジタルライブラリーでございます。
ありがとうデジコレ、I♡NDL

横光利一の代表的な「真夏日」作品といえば、新感覚派の代表作品であり、かの宮沢章夫氏がを11年かけて読んだことで伊藤整文学賞評論部門取ったこと(『時間のかかる読書―横光利一『機械』を巡る素晴らしきぐずぐず』)でも有名な『機械』1930(昭和5)年でありますが、その『機械』を含めて5作品に対して、先の川端は『昭和五年の芸術派作家及び作品』(「新潮」1933(昭5)年2月)にて「更生的な冒険を重ねながら、新しい文学に希望を与へ」たと書いています。その5作品とは何かというと『高架線』『』『機械』『鞭』『寝園』です。

これらの5作品は全て横光が芥川龍之介に唆されて上海滞在後に挑んだ初の長編『上海』の執筆中にポロポロと生み出された作品群であり、伊藤整を始めとして当時の文壇に大きな衝撃を与えたわけですが、この時期の横光作品は現在において青空文庫や汎用文庫本等で簡単に読めるものが実は多くはありません。『』『機械』『寝園』くらいなもので(なお『寝園』は今だ青空文庫化されていませんが、講談社文芸文庫で電子版になっていたのでそのリンクを張ってます)、他は大学図書館で分厚い全集でも漁らない限り読めません。上海滞在からかの悪名高い『純粋小説論』(1935(昭和10)年)までを「過渡期の横光」として考えるとその期間に熱を帯びた面白い作品が結構多数あります。

その意味で刊行本ごとまるっとスキャン保存している国立国会図書館デジタルコレクション近代デジタルライブラリーは最高でございます。当時の本がそのまま読めるよ!データでねというのは実に偉業ではありませんか!

なわけで私誠に勝手ながら「【夏の変電書フェア’14】「過渡期の横光」短編集」と題しまして三つほど見繕いました。

その前に、正月のリブート宣言1回目あたりから恒例(?)の国立国会図書館歴史音源れきおんから「記事の気分」としてのBGM(スマホでは聴けないけど)を選定しているわけですが、今回も見つけました。イタリアナポリ民謡和訳の「サンタ・ルチア」(作詞・作曲・編曲・実演家:羽衣歌子/製作者(レーベル):ビクター/発売年月日:1932年8月)。こちらを本日のBGMといたします!過渡期の横光と同時代だから横光自体も蓄音機から流れるこの音を聴いていたかもしれませんよ!またこれを聴きながら後段で紹介します『鞭』を読むと上等なコメディ(ブラック)を読んでいるかのような気分になりますぜ!これは試してもらいたい!

横光利一『高架線

高架線表紙





高架線』(コマ数152)
著者:横光利一
発行日:昭和5(1930)年 出版社:新潮社
国立国会図書館デジタルコレクション






まずこちらは先の川端が上げた5作品に入る『高架線』がタイトル通り収録されておりますが、他にも『笑った皇后』『負けた良人』『古い筆』『恐ろしき花』など青空文庫や汎用版文庫本では読めない短編が多数あります。『高架線』は『機械』直前期の横光の綿密な文体及び構成とその上海経由の都市の汚穢なる非理想を明確に切り取っておりますが、ざっくり内容説明しておきますと、ある路線の高架線を建造するための鉄材置き場が浮浪者たちの住処になっており、その浮浪者を監督する爺さんと、まだ地上路線が走っているのでその踏み切り番の爺さんの友情世話物ですが、その「高架線」が出来てしまえば二人は失業するというアイロニカルな設定のその社会性と、ネチネチとして改行の少ない文体、またその人物を含めて事物を「眺めている」ような映画的ともとれる描写は、「新感覚派」と呼ばれた一派のある特徴的なスタイルでもあり完成形です。『笑った皇后』という戯曲ではローマ皇帝暴君ネロの盛衰の題材にしながらラストシーンは非常に映像的で、またこの中でも妻の「不貞」に関するトライアングルが『負けた良人』また『烏』でもこの時期横光が常に取り上げるテーマですが、綿密に回りくどく「寝取られ(NTR)」の自意識を語りながら最後は非常に映像的な描写で唐突に終わります。

横光利一『機械

機械表紙





機械』(コマ数152)
著者:横光利一
発行日:昭和6(1931)年 出版社:白水社
国立国会図書館デジタルコレクション






続いて表題作『機械』を含むこちら白水社の短編集ですが、この中では川端の指摘した『』が入ってます。また青空にはない『眼に見えた虱』『父母の眞似』『悪魔』が入っており『悪魔』に関してはやはり重要作品です。

』は上海便船で事務長宛一等船客の某が自殺のおそれがあると無線電信が届いたところから始まるショートストーリーですが面白いですねえ。

しかし何が贅沢だからと云って他人に自分の自殺するのを報しらしめるほどの贅沢はこの世にはなかろう、全く無駄なことをあかの他人にさせ続けてそして最後は自分はのんきに死のうといふのではないか。生きてゐるものと云うのは死ぬもののために生きてゐるのではないなどど私ひとり旨の中で乙竹順吉にぷんぷんし始めて来たのだが、それにしてもこれから明日の三時まで饒舌り続けてゐなければならぬと云ふのは死と競争してゐるようなものである。ー横光利一『

この頃の横光の描くところの主人公は非常に飄逸で滑稽です。またその高速度に回転する自意識は心情よりも理知であるので、非常に乾いていて酷薄であるがゆえに、単なるユーモアで終わらせない残酷な決着をつける傾向があり、僕は漱石初期作品印象「猫」なんかをなんとなく思うところです。おなじく『悪魔』においてはどうやら好き同士でありながらお互いを「悪魔」と認識する教会におけるツンデレ男女ですが、男子視点のネチネチとした自意識でありながら不思議と滑稽です。そして不思議と残酷です。こういった部分は表題作『機械』でもあるのですが、おそらく『機械』だけではよくわからないこの時期の「横光らしさ」です。

横光利一『薔薇

薔薇表紙





薔薇』(コマ数128)
著者:横光利一
シリーズ:岩波新書 第21
発行日:昭和13(1938)年 出版社:岩波書店
国立国会図書館デジタルコレクション






少し変わり種で変電的な品を。こちら岩波新書で刊行された横光利一短編集です。岩波新書のWikipediaにも書いてるところ引用しますと「1938年(昭和13年)11月20日に岩波書店が創刊した新書シリーズである。古典を中心とした岩波文庫に対し、書き下ろし作品による一般啓蒙書を廉価で提供することを目的に創刊され、新書と呼ばれる出版形態の創始」ですが、初期に今と違って文芸作品をシリーズに入れていたんですね。ちなみに旧赤21がこの横光『薔薇』ですが、次の旧赤22が川端『抒情歌』です(さらには旧赤18里見弴『荊棘の冠』、旧赤19山本有三『瘤』旧赤20が久保田万太郎『春泥・花冷え』)。また一部面白い発見として、奥付が初版の13年11月15日ですが、

薔薇奥付

「りいち」ではなくて本名の「としかず」でルビが振られていました。※もっとも昔はこの音読み訓読みはおおらかな時代だったので間違いというわけではないかとは思います。

さて本短編集は私が設定している「過渡期の横光」期の1928(昭和3)年〜1935(昭和10)年から少し逸れた1938(昭和13)年出版ですが、編纂されているのは過渡期の短編・随筆です。やはり青空文庫にない『薔薇』1932(昭和7)年6月『雪解』1933(昭和8)年3月『歴史』1931(昭和6)10月等名品があります。

まず『薔薇』は横光が1928(昭和3)年に中学の後輩を訪ねて上海へ渡った事実を脚色構成されてますが、その後輩が持っていた薔薇の中の美少女の二葉の写真から、東京に結婚して住むその女性に手紙を届ける伝書鳩の役目を引き受けつつ、その恋を邪魔しようとしている、また入り組んだ主人公の話ですが、この富んだ設定は非常に何か江戸川乱歩的な感じがします。

雪解』は「ゆきげ」と読みますが横光自身の三重県伊賀上野の下宿時代の初恋の話です。こちら伊賀上野観光ではどうやら必ず紹介されているようですが(紹介サイトも散見)その作品が青空文庫でも汎用文庫本でもとくに収録されていないという現実に驚きます。

 卓二が少年期もそろそろ終わりに近づいてゐた日のころである。彼は城を後にした街の通を歩いていくと、突然十二、三になる一人の少女が彼の傍を脱兎のごとく駆けぬけて、急にくるりとこちらを向くと、腰を折って笑ひ出した。彼はそれがあまりにも不意の出来事だったので、その少女の動作を思わずぢつと眺めずにはをられなかつた。多分少女は後から追つかけて来た仲間の者をからかふつもりらしく、卓二が傍まで歩きつづけていつてもまだなかなか笑ひとめそうもなかつた。
 卓二がその少女を見てから停つてゐる彼女を追ひ抜いてしまふまで、僅か二十秒とは経つてゐないにちがひなかつたが、彼は町を歩いてゐて、その少女ほど美しいと思つた少女を見たことがなつた。彼はむしろそのとき、たぢたぢと恐れを抱いてその少女の傍を通りすぎたほどであるが、彼女の少女らしいといふ少女ではなく、十二、三歳でもう美しい大人の表情をしていた。ー横光利一『雪解

という素敵な出だしの可憐な初恋モノですが、そのモデルと宮田おかつは横光が早稲田大学英文科入学後作品を発表し始めた頃に急逝しているそうです。

つづいて『歴史(はるぴん記)』というエッセイが個人的に一番の収穫で、外地日本の残酷な史実の中の一抹のメルヘンを感じるものです。横光が1930(昭和5)年9月に大連、ハルピンまで出向いて紀行を書きたいと思いながら諸事情で果たせず印象を忘れないためにハルピン日日新聞の古新聞を送ってもらいながら読んだ在ハルピン日本人の古老たちの話「ハルピン草分座談会」なるが特集が面白く

それ故このやうな珍しい話はそのままにしておくのも惜しいと思ひ小説の形にでも書いてみようと思ってゐたのだが、小説とするにはあまりにも實話的な面白さの方が勝ちすぎるので、今まで書かずにそのままにしておいた。ー横光利一『歴史(はるぴん記)

それをさらっと伝聞随筆という形で一筆書きに描いているのですが、明治期からのハルピンにおける日本人入植の歴史は確かに非常に面白く、明治期は二葉亭四迷が密偵的にハルピンの街を暗躍していたりした事実や、日露戦争開戦に日本人引き揚げ命令が出た際の逸話は、確かに「實話的な面白さの方が勝ちすぎ」ています。引き揚げの話は、最後まで逃げる金がなくてぐずぐずと残留していた日本人達がシベリア鉄道欧州経由で退去させられ、集団で銃殺されるものと思っていたら、非常に丁重に親切にロシア人将校らに扱われ、また退去経路で各地で中国人として潜んでいた日本人(主に売笑婦たちとその関係者)が合流して雪だるま式に増え続け最終1000名近い日本人が欧州へ退去して行く中で、途中でお金がつきたら街で働かせてもらったり、さらには戦況が日本がロシアに勝利していることで、通過する街街でバンザイコールで歓迎歓待されドイツを抜けて地中海を経由して日本に帰国しているが、

その間ハルピンを立ってから9ヶ月もかかっているが、彼等の間で台湾まで来るまでに二百組に新しい夫婦が出来上がってゐて、それを今でも引揚夫婦といふのださうであるが、そのまま今もなほずっと夫婦生活を続けてゐるものも澤山あるとのことである。ー横光利一『歴史(はるぴん記)

というほのぼのとした史実が書かれていますが、この作品の初出の1931(昭和6)年から14年後、日本の敗戦及び満洲国の崩壊による大陸引揚げ者たちの悲惨な史実とは真逆の性質ゆえに強くメルヘンを感じるわけです。最後横光はこのタイトル「歴史」についてこう述懐いたします。

この題に歴史といふ見出しをつけたのはあまりにも大げさだと思うふが、しかし、私は集團の歴史を事實そのままに書いてみたのは今が初めてのことなので、書き進めて行くに従つて、歴史というものは「事實」と少しも違はないにもかかわらず、「事實」と違うところは「事實」の取捨選擇をすることにあると今さらに氣がついたからである。つまりこの一篇は取捨選擇といふ意味にとってもらへば幸いである。ー横光利一『歴史(はるぴん記)

なのでこの裏には悲惨な話の「取捨選択」もできるというニュアンスかと思われますが、ここでそろそろ記事の〆として強引に私の今の変電活動へと接合すると「取捨選択」でもって忘れされている「事実」としての「作品」は、例えば今回横光作品を国立国会図書館デジタルコレクションを漁ることで、手間さえ惜しまなければ諸々楽しい「事実=作品」を拾い上げることができる時代になったなと。つまるとこと各人が大量にある「裸の事実=データ」群の前で、各人思うところの「歴史」を編纂してしまええるような時代になったわけですね。楽しい。よって変電社持田も引き続き取捨選択される前のデータアーカイブへ果敢にサルベージを敢行し、読んでみて楽しい作品の歴史を露出させてまいります。【夏の変電書フェア’14】はまだ続くよ!

社主代理 持田 泰

変電社公式SUZURIショップOPENだよ!

【変電社リブート宣言3回目】変電社公式SUZURIショップはじめました



社主代理持田です。やはり引き続き趣味と仕事をこっそり兼ねたるということで、
変電社リブート宣言3回目と称して変電社公式SUZURIショップ始めました!

変電社公式SUZURIショップOPENだよ!

変電社公式SUZURIショップOPENだよ!

以下の近デジコンテンツから戦前プロ文センス炸裂のTシャツやトートやマグカップができましたぜ!

プロレタリア漫画カット集





プロレタリア漫画カット集』(コマ数44)
出版社:日本労働組合自由連合協議会
発行日:昭和8(1933)
国立国会図書館デジタル化資料「近代デジタルライブラリー」






パブリックドメイン利用で様々なチャレンジを今後もし続けてまいりますが、いいカットや挿絵は実はまだまだありますので、こちらのショップでどんどんアイテムを増やしていく所存です。

ちなみに変電社ロゴ作成いただいたイラストレイター松野美穂さんSUZURIショップでは変電社ロゴグッズ他トルタルロゴグッズ販売中ですよ!Check this out!!

松野さんSUZIRIショップも要チェック!

松野さんSUZIRIショップも要チェック!

しかしそろそろちゃんと変電書レビューも書きますよ!

【変電社リブート宣言2回目】変電社公式ブクログ棚はじめました

変電社reboot2
無沙汰のくせに景気よく変電社流アホカスタマイズ画像から再開しましたが、最近炭水化物ダイエットに嵌り米食べてません社主代理持田です。
2月更新以来またこちら止まっておりますが、春先にマガジン航への投稿記事(NDL所蔵古書をプリントオンデマンドで2014年5月8日)なんかは出してますが、いかんせんアウトプット労力を惜しむ癖に一旦書き始めると無駄に長文になるという「人見知りの癖に話が長い」的な誰も得しないスタイルのせいで日々の生活に逃げておりました。

でももー逃げへん、やったる。趣味と仕事をこっそり兼ねたる。ということで




変電社公式本棚

ブクログで過去変電社ブログで紹介したコンテンツで棚作ってみました。
以前に“BOOKSHOPLOVER” 和氣氏にところで青空文庫棚こさえてのインタビュー(変電社社主代理の持田泰さんは青空文庫から選んだ25冊で「都市と旅とその時代」を語る)や、当ブログでジブリ「風立ちぬ」記念棚を途中で座礁させて棄て逃げるなどの真似をしましたが、今回は変電社本筋でもある国立国会図書館デジタルコレクションとGooglePlayブックス慶応図書館コンテンツのオリジナル登録で棚であります。

本日は話短めにこれくらいですが、改めてこの棚組んでみて思ったのですが、当変電社既に活動を続けて3年近く経とうというのに、なんとまだ国立国会図書館デジタルコレクションとGooglePlayブックス慶応図書館コンテンツで21アイテムしか紹介していない。まして電子書籍に関して言えば18冊!これはやるやる活動詐欺だと思われます。面目ありません。社主代理持田週末飲み潰れてないでほんの少しづつ更新したいと思います。

しかしこう棚に並べると見事に「古本屋」みたいでよいじゃないかと。「電子古書」という概念を追い求めて決起イベントまでしたのですから、たかだか18冊しか置いてない古本屋はみすぼらしい。のでもっと増やしたろうと思います!何はともあれ「査定」は結構な数しているのでもっと気軽に公開開始いたします!乞うご期待!

国立国会図書館2月1日

【また行って来たよ!】続・国立国会図書館図書館向けデジタル化資料送信サービス体験レポ【いつも陽気で】

昨晩は東京は45年ぶりの大雪ではしゃぎすぎて翌朝は慣れぬ雪かきで筋肉疲労MAXの中、かの悩ましい都知事選投票にも何とか行って参りましたが、変電社社主総選挙といったものをしてみたら?なんて魔が差しはじめた社主「代理」持田です。
ところで、前回体験レポが思いのほか好評で大変ありがたいことにマガジン航に「NDLのデジタル化資料送信サービス体験レポ」として編集転載されました!幸いなる哉!変電社登場2013年春以来!

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【行って来たよ!】国立国会図書館図書館向けデジタル化資料送信サービス体験レポ【美味しいマカロニ】

前回変電社リブート宣言したにもかかわらず、相も変わらずメモリ不足でフリーズしまくっている社主代理“ポンコツ”持田です。

唐突ですが国立国会図書館デジタルコンテンツのもう一方の楽しみ方で、歴史的音源「れきおん」を漁るとこれはこれで三日三晩語り明かせるくらい楽しいのですが、先日酔っぱらいながらdigっていたところ、グレートな戦前チューンをみつけたので勝手ながら本レポートのBGMとさせていただきます。

独唱:マカロニ
(実演家・作詞:三浦環 作曲:イタリア民謡 編曲:奥山貞吉 製作者(レーベル):コロムビア(戦前)発売年月日:1939-09)

なおiPhoneなんかではFLASHなので聴けないので、興味持たれた方は是非PCでCheck this out! してみてください。ちなみに聞き取りにくかったのですが歌詞を何とか書き取りました。

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