松井源水が獨樂を廻し、長井兵助が長刀をふり廻して、お立合ひの諸君を喜ばせ、長日舌をふるつて齒磨粉や目藥、さてはがまの油を賣りつけたと云ふのを今は早や昔、同じ大道賣藥業者でも、モダン松井源水、ウルトラ長井平助の諸君は角帽にキンボタンの制服、ロイド眼鏡の醫學性が、さもなくば洋服の堂々たる紳士に扮して、獨樂や長刀の代りに一管の試験管を手にして、博學なる知識を口角に泡を乘せて黑山のお立合衆を吹きまくるのである。
昔は、香具師の商賣と云へば、賣藥と香具師の十三種に決つてゐたものだとか、ものゝ本にもあるやうだが、何がさて、時の流れにしたがつて、商賣の種類も殖えれば、香具師の趣向もその時と場合に順応して、それ〴〵に變つて來た。
いま、その起源だの、變遷史等といふ難しい事は、何れおの〳〵その道の専門の人に任さなければならないが、以下の最近私が直接に見聞きしたごと師の新手のインチキとでも云ふべきもの。——
2
一口にごと師と云つても、大道でサクラを使つて安物の萬年筆を賣りつけるヘタリもあれば、いかがはしいレイヨンばかりの反物を競り賣るモンタン。或ひはさればと趣向をかへて人の投機心を利用し、観世物のくじ引かせて飴を賣るジク。さては手をかへて鉛臺の贋指環を本物に見せて賣りつけるチギリ等々、種々雜多にわかれてゐるが、ごと師はわりごと師、卽ち澤山のサクラを使つて商賣をやる香具師を云ふので、いま、私が見聞したと云ふのは、このヘタリに屬するものなのである。
旣に、旣に大方が御存知のやうに、一人の香具師が、失業者の盗癖のある阿呆等に扮して、さも、物の哀れと云ふ事を文字にでも現したやうな恰好をして路傍に佇み、先ず物好きな通行人の娘をひきつける。
一人が立止る。二人が立つ。三人、四人と次第に通行人が立つた潮どきを見計つて、盗品だとか、工場閉鎖のための給料代りに貰つたものだとか、拾物だとか、何だ彼だとサクラのとの押問答で、結局は萬年筆とか、西洋剃刀を賣りつける。
これが所謂ヘタリ(又の名ツマミと云ふやつださうだが、このインチキは餘りにも知れ過ぎてゐる。そこで考へたのが、次の新手とも云ふべき妙策——。何をするにも腦漿を絞らねばおまんまが咽喉を通らないと云ふ御時世だ。
3
私は、この日も所在なさに、銀座の宵を一廻りしてから、バスに身を横へ雷門へ運ばれた。何時見ても淺草は人間の胃袋、雜沓の巷であるに變りがない。恰も血管が肉體を循環するやうに人が出たり入つたり、私は、その人いきれでめまひがしさうになり、ちよぴりほろにがいところでもと、電車通りのバー・ウクライナに入つた。
流石に淺草でも老舗を誇つてゐるこのカフエーは、いやに落付いて、私も些か救はれたやうにほつとした。
私はチビリ〳〵とグラスを舐めながら、見るとなしに視線をちよつよそらすと、私のテーブルから外角線の片隅のボツクスに、一人の三十男が生ビールに何か洋食を平げ、落付ない風態で、あたりを見廻しながらぎよろ〳〵としてゐると云つて、私は、何もその男に氣を止めてゐると云ふのでもなかつた。私は、なほもグラスを舐めながら、「これからどうしたものだらう」なんて、そんな事を漠然と頭に描いてゐると、その時、突然
「食ひ逃げ!」
とカウンターの怒鳴り散らす聲が、鋭く耳朶を襲ふのだつた。私は、思はずその聲の方へ顏を向けると、件の生に洋食の先生が、女給の隙を窮つて一目散に逃げて行く。私は、
「やつたな!」と、とりとめもなく考へてゐると、忽ち「それッ!」とばかりに、彌次馬がその後を追つて行つた。が、幸か不幸か、その三十男は観音堂境内の入口で捕つてしまつた。
息せき切つて追つかけて來たコツクが
「太え野郎だ!交番へ突き出せ!」
と憤慨するところへ、そこへ一人の彌次が口を出した。
「手前、金を持たねえのか?」
「へえ、その、あつしや萬年筆屋なんですが、一日賣れねえもんですから…」
と頭を掻き〳〵、懐から萬年筆をぞろ〳〵つと出して見せた。
「萬年筆屋か?どうれ、見せろ?」
言葉の調子がどうしても却々に恐いところがある。
「これ幾等だい」
萬年筆屋は情けなさうに、
「いくらでもようござんす、買つてさげ下さりや洋食代が拂へますから」
とばかり、頭を上下にふつてゐる。
「畜生、太へ野郎だ!喰ひ逃げなんて…」
「へえ、どうもその」
「おい、萬年筆屋、もうこうなりや五十錢に負けとけ!」
「仕、仕方がありません、背に腹はかへられやせん」
と、今度は、さもうらめし氣にその方を見上げるのであつた。
「ぢや、可哀想だ。一本だけ買つてやらア、今から喰ひ逃げなんて淺間敷い眞似は金輪際するなよ」
「へい」
口を出した彌次の一人は、五十錢のぎざを一枚投げ出した。すると、他の彌次の一人も、
「ふん、そりや安い、皆さん買つてやりませんか。五十錢でいゝさうだ、こりやどうも見つけもんだ」
とそんな事を云ひ乍ら、自分も一本買つた。かうなると文字に書いたやうに面白いものだ、多くの彌次達は一方に、俺も、私も、と、瞬くうちに三十數本の萬年筆が飛ぶやうに賣れてしまつた。
私も遂ひにつり込まれて一本を手にしてゐた事を白狀しやう、
「どうも有難うございました。お蔭さまで…」
喰ひ逃げの先生、大によろこんで禮を述べながら、カフエーのコツクに、喰ひ逃げの代金を支拂ふのであつた。ところが、そこへ訴へによつて遅ればせに駈け寄つて來たのが私服の一人、その萬年筆屋を見るなに、叱るどころかなんと、
「こらッ、うまい事を考へやがつたな」
といたく感嘆の態である。
「どうも、そのえつへゝゝゝ」
萬年筆屋は、ぺよこんと下げた頭に手をやつた。
「餘り手數をかけるなよ」
刑事が、最初萬年筆を買つた二人の彌次に眼をやると、これ又、二人とも、
「恐れ入りやした」
と、平身低頭、お辭儀百萬遍の有様に萬年筆を買はされた他の彌次達も、やつろ氣がついたのであつた。
「ちえッ、サクラか、面白くもねえ、見事に一本参つた」
と、さも、いま〳〵しさうに見えるのであつた。
私も、好奇心も手傳ひ、ひそかに成行を興味を持つて見てゐたのであつたが、それらの私語を耳にすると、そゝくさと、その場を立去らねばならなかつた。
追記 梅原が去る5月に突然死んだと花房四郎君から通知を受取つたときには些か愕然とした。夢のやうな氣がした。それまでよきにつけ、惡しきにつけいろ〳〵と交際を持ち續けて來た僕だつた。あの男の事であるから、もう慾は云はずにせめて四五年は生かして置きたかつた。何かあッと云ふような大きな仕事をしたに違ひない。
然し、今はもう詮ない事である。今、その追悼文を書くのが目的ではない。せめて梅原が生前殘して置いたこの一文を公表しさえすれば足りる。
遺稿は確か昭和十年頃になつたものではないかと思はれる。梅原らしい筆致で梅原らしい人柄がよく出てゐるのではないかと、微笑まされるところさへある。