【變電社SUZURIショップ再起動】Cool&Dopeな20-30年代デザイングッズをリバイバルさせて売っていくよ宣言【玉村善之助1922年10月『エポック』カバーデザイン他】

こんばんわ!我ながら更新が倍速気味でびっくりしています社主持田です。
以前より變電社SUZURIでPDグッズ利用を以前から初めておりましたが

變電社SUZURIショップ

變電社SUZURIショップ2016年はばんばん出していきますよ!

變電社SUZURIショップで2016年はばんばん出していきますよ!

2016年は本格稼働はじめます!本日更新したのが2点!Check this out!

『エポック』 10月號(1922年10月)玉村善之助 カバーデザイン

玉村善之助(方久斗)の1922年『エポック』カバーデザインでありますが、1920年代とは思えない表現派風の勢いある見事なアートワークでありますねえ。うっすら「帝国図書館」印が見えるのも愛嬌。国立国会図書館デジタルコレクション使いましたが、Web公開されていない館内限定データの複写再スキャンしたものです。

玉村善之助(方久斗)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E6%9D%91%E6%96%B9%E4%B9%85%E6%96%97
玉村 方久斗(たまむら ほくと、本名:善之助、1893年11月13日 – 1951年11月8日[1])は、大正から昭和初期に、日本画における前衛を追求したことで知られる日本画家。別号に、連城、北斗がある。本名の玉村善之助、またタマムラ・ゼンノスキーと名乗っての活動もあった。

なお玉村善之助(方久斗)は野川隆と奥さんが遁走した逸話の持ち主ですが、大正信仰美術運動ならびに前衛詩の現場でえ『ゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲム』野川孟・隆兄弟と絡んでおるキーマンとして調査追跡中ですので詳細後日!また『エポック』カバーデザインは他にもゼンノスキー・センス炸裂した素敵な表現派風「破壊芸術」カバーがまだまだありますので、シリーズ追加してまいります!

イリヤ セリビンスキー『芸術と文学』(1931年)ブックカバー Sel’vinskii, Il’ia L’vovich: Khudozhestvennaia Literatura, 1931.

スマートフォンケース/Tシャツ/トートバッグ/マグカップ

年始にニューヨーク公立図書館パブリックドメインデジタルデータ公開されましたが、こちらも早速使い倒してみました!

2016年01月07日 12時32分00秒:GIGAZINE「無料で使える18万点もの歴史的なデジタル資料をニューヨーク公立図書館がアップロードして公開中
http://gigazine.net/news/20160107-nypl-digital-collections/

NYPL Digital Collections
上記がニューヨーク公立図書館が無料で利用・共有が可能な18万点以上のデジタル資料です!

今回はこちらピックアップ!
Sel’vinskii, Il’ia L’vovich. Pushtorg. [Fur-Trade.] Moscow: Khudozhestvennaia Literatura, 1931.
http://digitalcollections.nypl.org/items/510d47e2-d361-a3d9-e040-e00a18064a99

イリヤ セリビンスキー
https://kotobank.jp/word/%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%83%A4+%E3%82%BB%E3%83%AA%E3%83%93%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC-1625189

1899.10.24 – 1968.3.22 ソ連の詩人。モスクワ生まれ。
1926〜30年まで構成主義詩派の主導者として活躍し、科学と詩の結合を目指し、新しい主題には技術・科学用語の使用が不可欠であると主張した。現代ソビエト詩人の中で最も洗練された詩風をもつ一人で、作品には長編叙情詩「ウリャラーエフシチナ」(’27年)、詩劇「第二軍指令官」(’29年)、戯曲「ブルシーロフ将軍」(’41年)などがある。セリビンスキー自体は著作権は切れていませんが、カバーデザイナーが”Content: Cover design by unknown artist”ということでニューヨーク公立図書館が無料で公開後70年経過したということでPDの模様。

さてこんな感じに文学作品テキスト問わず、今後もパブリックドメイン使い倒し実践を敢行する變電社、ひきつづき御愛顧たまわらんことをよろしくお願いいたします!

次回は現在、野川隆著作集パブリッシング準備中でありますが、そちらにに添えるつもりの「Gの震動ー1901〜1927【野川隆評伝:前期】」を先出し公開予定です。新発見(私が)続出の評伝!乞うご期待!

社主 持田 泰

【20世紀跨ぎ生まれ世代の兄達1894ー5】二人の「江戸川亂歩」と井東憲『贋造の街』ならびにカフェ「變態光波」開店宣言【都市と變態】

さて今年はもう少し更新頻度上げようと思いつつ腰が常に重い社主ロートル持田でありますが、何も飲んだくれているだけではないのですよ!といきなりボールドで言い訳から始めましたが、變電叢書『野川隆著作集1』のストア配信は今少しお待ちくださいませ!また野川隆中期作品編纂を進めるために諸々図書館詣での日々でありますが、結局諸々脇道寄道に流れてしまう性分でありまして、その代わりと言っちゃなんですが、他の變電叢書候補として活きのいい新人(なんか矛盾的表現)を掘り出してきたので今回「變電叢書」続編を紹介したいと思います。

「變電叢書」第六篇「野川孟著作集」

第一篇 野川隆著作集1 前期詩篇・評論・エッセイ 2015年1月予定
第二篇 野川隆著作集2 中期詩篇・評論・エッセイ 2015年2月予定
第三篇 野川隆著作集3 後期詩篇・小説・評論・エッセイ 2015年3年予定
第四篇 橘不二雄『腕の欠伸』(未定)
第五篇 井東憲詩集(確定)
第六篇 野川孟著作集(未定)
 

第六篇は野川孟、これは既に過去で何遍も触れているように野川隆の兄です。六つ上なので明治28(1895)年生まれ。奇しくも平井太郎(明治27(1894)年10月21日)と一個違いの同世代です。平井太郎とは言わずもがなで江戸川乱歩ですが(来年彼もパブリックドメインになりますので彼の初期短篇は諸々準備進めておきたいところですが)野川孟も既に過去何遍も触れているように初代「江戸川亂歩」です。この点をネットで調べるとミステリ関係者が諸々調べていて、

 辻村義介 はいわゆる「もう一人の江戸川乱歩」である。乱歩が「二銭銅貨」でデビューしたのは1923年だが、その前年、雑誌『エポック』1922年11月号(通巻第二号)の巻頭に「江戸川乱歩」という筆名の人物の「アインシュタインの頌」という詩が掲載されている。この詩の作者が辻村義介という人物だとかつて推定されていた。なおノンフィクションライターの佐藤清彦氏の調査では、辻村義介は当時仲間内から「江戸川乱歩」というあだ名で呼ばれていたが、「アインシュタインの頌」の作者は辻村義介ではなく雑誌『エポック』の編集者であった野川孟およびその弟の野川隆だと推定されるという。

となっていますが、野川隆ではなく兄の孟の方であり、また推定ではなく事実です。稲垣足穂も『「GGPG」の思い出』で証言しているように「亂歩」一番乗りは野川孟です

野川の兄は新聞記者で江戸川乱歩を名乗っていた。ちょうど推理作家平井太郎の売出し中だったから江戸川乱歩は天下に二人いたわけだが、野川は「おれの兄の方が本物である」と云っていた。しかしその時その兄はハルピン方面に去っていた。

稲垣足穂『「GGPG」の思い出』「稲垣足穂全集 第11巻 菟東雑記」2001年8月 筑摩書房

ちなみに「ハルピン」は多分足穂の思い違いでこの頃は朝鮮の北鮮日報記者となって半島に渡っています。そのまま敗戦まで朝鮮半島に居を構えていますが、こちらは『ゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲム』第二巻第三集の編集後記でも「野川孟に手紙を出し度い人は左記へ 朝鮮 清津府敷島町 北鮮日報社内」との記載があります。

朝鮮に渡った段階で創作から手を引いた(バスから降りた)ようでその後の足跡が諸々調べていても不明だったのですが、まさかのネットで発見しました!有難いことに林哲夫氏のブログ(daily-sumus2「脈80号 特集 作家・川崎彰彦」)記事で戦後の足跡が書かれていました(感謝!)。それによると野川孟は戦時は何とか生き延びたようで、終戦後愛知県八日市市滋賀県八日市町(現東近江市) (※1月28日修正 FBページからご指摘いただきました!ありがとうございます!)に引き揚げています。当地で京都新聞支局長等を勤めたようで、そのご子息は野川洸という名の詩人作家であり、川崎彰彦五木寛之と早稲田一文同窓で五木寛之の先のWikipediaでもこんな記載があります。

「こがね虫たちの夜」(1969年)は学生時代の、同学の友人高杉晋吾、三木卓、川崎彰彦、野川洸らとの生活をモデルにしたもの

ただし、ここまで、調べがついているのですが、未だ野川孟の没年月日が不明です。そのためにパブリックドメインとして變電叢書化できるかがまだ不明で現在誠意調査中です。この野川孟は思春期の隆に絶大な文化的影響を与えた隆の「師」と呼んでもいい人物であり『ゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲム』起稿作品も非常に優れており実は野川隆なんかより上手なんではないかとさえ思えています。当時の欧州新興美術の博識をベースにした評論他、気品ある都会的な詩や小説、またたとえば以下の学術参考として画像参照してしまいますが、

野川孟「銀座街頭の夜」『ゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲム』第二年第二集収録

野川孟「銀座街頭の夜」『ゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲム』第二年第二集収録、大正14(1925)年2月

のような弟顔負けの実験詩(孟の若い頃に(「May’13th 22」の記載あり)手慰みで書いたか?)残している他、僕がとくに気に入ったのは『リンジヤ・ロックの生理水』なる小品で、これは誠に都市の夢幻たるリリシズム溢れるSF風(?)作で、これは隆だけでなく野川家は孟も何とか復刊(というかやはり初編纂)したい!一応様々なルートと使って探査中ですが第四篇予定の橘不二雄とは違い、人生行路の痕跡は戦後でもいくつか残っているので何とか判明するかとおもいますので乞うご期待!当然「亂歩」時代からまとめる予定ですよ!

「變電叢書」第五篇「井東憲詩集」

でもう一人これは完全にパブリックドメインであることが判明していいるので復刊させます。野川孟と同年の明治28(1895)年8月27日生まれの詩人です、以下が都立広尾図書館で全頁プリントアウトしてきた詩集表紙ですが

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Oh..表紙名前隠れてしまっていますので中表紙のこちら
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この中表紙の何がいいって「帝国図書館」の角印と丸印で、丸印の方には「帝圖(図の旧字)」と「昭和二・四・七」と見えます。昭和2年3月20日印刷と奥付で見えますから、刷り上がってすぐ内務省検閲に持ち込んだんすかねえ。

さてその名は井東憲。本名伊藤憲。この作家が誠に破天荒な生き様で、東京神楽坂生まれ静岡育ち、17歳(明治44(1911)年)で家出して旅芸人にまざって放浪し19歳まで浅草を遊蕩、結果性病に罹って一念発起し政治家目指して21歳(大正5(1916)年)で明治大学法学科に進学。そこで文學にこじれ古今東西の文學作品を読み漁り、22歳(大正6(1917)年)で大杉栄と出会いアナキズム研究へ、26歳(大正10(1921)年)で『変態心理』(!)の記者となり、『勞働運動』で詩人デビュー。31歳(大正15/昭和元(1926)年)静岡で一度目の結婚したものの東京では詩人英美子と不倫、その間かの梅原北明と『變態十二史シリーズ』に参加し『變態人情史』『變態作家史』(ともにNDLデジコレインターネット公開中)を発し(なお『變態十二史シリーズ』第二巻はマヴォ村山知義『變態藝術史』)、32歳(昭和2(1927)年)に上海渡航、同年英美子との子が生まれ、その子が実は戦後日本人ギタリストとして初めてカーネギーホールに立った世界的ギタリスト中林淳眞であることなど知る由もなく、翌昭和3(1928)年に井東憲は英美子との関係を清算。全日本無產者藝術同盟(ナップ)加盟、34歳で静岡の本妻とも離婚、上海渡航しのちの上海中国ものの嚆矢となる『上海夜話』発行、その後詩小説ルポタージュ翻訳と様々な作品を矢継ぎ早に世に出し、銀座の新興中華研究所所長を勤め、48歳、昭和20(1945)年6月20日。静岡空襲で焼夷弾被弾。8月5日に終戦間際に死去。(上記略歴『井東憲:人と作品』井東憲研究会編参照)

「兄」の世代(1894ー95)

『20世紀跨ぎ生まれ世代』の兄である井東憲と野川孟のまた「二代目」江戸川亂歩たる平井太郎(明治27(1894)年10月21日)この他もざっと眺めて観たところやはり大変面白い。まずは詩人でピックアップしておくと金子光晴(明治28(1895)年12月25日)、西脇順三郎(明治27(1894)年1月20日)、まあここら辺はWikipedeiaの年号調査で出てきますが、あれ?もしかしてさては?と個別に調べたところ、「日本未來派宣言」の平戸廉吉(明治27(1894)年12月9日)、またかの「エロエロ草紙」酒井潔(明治28(1895)年)らも同世代です。驚きました。(また「マッサン」竹鶴政孝も、明治27(1894)年6月20日生まれだったので驚きました。)

しかし、これはさては長らく僕が知りたいと求めていた「震源地」は兄達の方か?この野川隆・村山知義・小林秀雄らの理智的な優等生らしさとも違う、もっと野蛮であり所謂エログロナンセンスのデロリとした「狂味」。と同時に以前、変電社最初期幻(?)の「変電社日記」レビュー「2012-12-31『日本歓楽郷案内』酒井潔」にて書いた「あの歓楽街あの歓楽街と遊歩する酒井の影を追いながら馥郁たる夜の都市を徘徊している」ような「気分」。(なおこの酒井潔『日本歓楽郷案内』は彩流社で完全復刻さらには中公文庫で復刊されると快挙がありましたよ!)

川上澄生と古賀春江

さらに同世代を調べていたら、ドンぴしゃりでこの空気を象徴する画家が二人も突き止めました。ああそうかこことも同世代だったのか!と感慨ひとしおで、個人的に大好物な二人ですが、川上澄生(明治28(1895)年4月10日)と古賀春江:(明治28(1895)年6月18日)。
この二人の同時代の絵を紹介したいわけですが、川上澄生の方は 昭和47(1972)年9月1日までご存命であったために、まだパブリックドメインではないので転載はしないでおきますが、どうぞググってみてくださいませ。

川上澄生『銀座「新東京百景」』昭和4(1929) 年作 東京都現代美術館所蔵

ああ!なんと都市の華やいでいることよ!名曲シュガーベイブ「DOWN TOWN」のイントロが聞こえてきそうだ!
美しいピンク&ブルーに染まるトワイライトの銀座に深く酩酊しながら徘徊したい気分にさせます。こちら所謂創作版画黎明期の名作です。(版画で言えば今度小泉癸巳男も紹介したいところですが、ああやはり明治26(1893)年6月生まれですから彼も同時代の空気を刷ったわけか。)

そしてもう一枚紹介したいのが古賀春江。古賀春江はパブリックドメインなのでそのまま貼りますが、

古賀春江『窓外の化粧』昭和5(1930) 年作 神奈川県立近代美術館所蔵

古賀春江『窓外の化粧』昭和5(1930) 年作 神奈川県立近代美術館所蔵

かの川端康成「末期の眼」(『一草一花 (講談社文芸文庫)』収録)にて「カメレオン」と称された前衛画家です。そのシュールレアリスム期のちょっとクレイジーな(この絵を見る度に「春の陽気で変になった人」を僕は思い浮かべる)高速度回転の躁期の中で冷たい汗を流し続けているような不吉な陽気さとでも言いましょうか。実際に古賀は神経梅毒による進行麻痺が発症する直前期の何か病的な霊感の中で一気呵成に描いていたシュールレアリスム風(実際はキリコ的「形而上絵画」に近いと云われていますが)絵画です。 この3年後の昭和8(1933)年9月10日)に亡くなってますが、その壮絶な最期を晩年親交があった川端康成が先の「末期の眼」で描いています。

この画風も全く違う絵画の上に描かれた美しくて何処か分裂病質な「都市」を思い浮かべていただければ、その「イカレた」井東憲の風味が存分に解るであろうということでお待たせしましたでんでんコンバーターbib/iによる井東憲の詩の紹介します。こちらは「井東憲詩集」にも収録されていますが、野川隆中期調査の中で『日本詩人』という詩誌調査中にたまたま発見した初出の方をオーサリングしました。原文は変わらないながらルビ点の相違がいくつかあります。

井東憲『贋造の街』大正14(1925)年4月10日

井東憲『贋造の街』

いいですねえ。不吉で飄逸。この中で

あの幻想狂の、意識的構成派の畫家は、私のことを……もつとも、そのかけてゐたセルロイドの眼鏡は、ほんの間に合わせに、夜店で買つたものだが……女に捨てられた怜悧な蜻蛉にたとへた。

「意識的構成派の畫家」とは間違いなく村山知義のことですね。本当に皆が近くに居たのだと。もう一丁は『井東憲詩集』から短いものを。

井東憲『變態光波』昭和2(1927)年3月20日

井東憲『變態光波』

おし決めた。将来變電社カフェ「變態光波」を開こう。(變電社第8宣言)。なお井東憲他作品はこちらでもいくつか紹介されていますので是非ご参照ください。しかし、古賀春江も画論や随筆の他「詩」を多く残しており、これ次回、平戸廉吉と古賀春江で變電叢書七・八篇とするのもありやも。

變電社社主 持田泰

【謹賀新年】第二期變電社ロンチ宣言と正月余談として勝承夫『駅伝を讃えて』と野川隆『旋風』フォークゲリラ【變電社第7宣言】

平成27(2015)年明けましてお目出度うございます。社主・持田です。昨年末の變電叢書『野川隆著作集1』発刊は幸い多くの皆様からのいいね!ならびにシェアご支援のお陰で想定以上に多くの方にDLいただけたようで、誠に感謝しております。「年内無料配布」の約束通り無料版EPUBのDLは停止しましたが、校正漏れもやはりいくつか発見しましたので修正後正式版のストア配布まで少々お待ち下さい。サイト上でbib/iでの公開は当分続けますのでWebで御覧くださいませ!

また昨年末からの社業務報告となりますが、まずはパブリシティとして、12月29日発売の宣伝会議2月号に毎度おなじみの池田敬二氏「歌う」宣伝工作により志村一隆氏記事として掲載されました!久しぶりの快挙万歳!

宣伝会議2月号記事掲載池田隊長歌う勇姿写真もあるよ!

宣伝会議2月号記事掲載池田隊長歌う勇姿写真もあるよ!

しかしこう掲載されたにも係わらず「変電社」をこけおどし旧字の「變電社」表記へと12月23日70年周忌弔い復刊の際に変更していますが、こちら正式社名変更というよりは「変電社」も「變電社」もどっちでもOKの屈託ない精神で参りたいと思います。つまりSEO的にも。また手書きで書く場合を恐れて。

また、唐突ではありますが私持田は長らく「社主代理」として振る舞ってまいりましたが、これも昨年12月23日復刊の際に「代理」を外させていただき、勝手ながら「社主」として立つことにいたしました。『野川隆著作集1』のようにEPUBパブリッシングを今後も実践していくのであれば、「発行人」としての責任曖昧化を防ぐ意味もあります。よって變電社社主持田、2015年は「覚悟」の年ってやつです。本年も引き続きご愛顧賜らんことをよろしくお願いいたします。

そしてこれにより唐突ですが第一期「変電社」を解散としますそして第二期「變電社」社中を緩募いたします。同時に結社趣意を改めまして新たな第二期第一宣言にあたる變電社第七宣言といたします。

變電社第七宣言

まあなんのことはない宣言の態での今年の抱負にすぎませんが、まず變(変)電社の紹介文を以下のものから

「変電社」は結社です。スタンスは「電子書籍読者」です。ざっくり言うと「変な電子書籍っていろいろあるから読んでみようや」結社です。転がっているデジタルアーカイブスをいろいろdiggin’して電子「古書」としてサルベージしたら面白いんじゃないかと思っている人の準備会です。

以下へと修正を加えました。

變電社は転がっているデジタルアーカイブスをいろいろdiggin’して「電子古書」としてサルベージ復刊を目指すインディペンデント・レーベルです。

つまり準備はもう済んだのだ!気合いのデジタル・パブリッシャー宣言です。記念すべき野川隆集から「變電叢書」をロンチしたとおり(まだ非売でありますが)、今後變電社は電子「叢書」刊行を実践してまいります。

なわけで最近ご無沙汰の国立国会図書館歴史音源れきおんから「記事の気分」としてのBGM(スマホでは聴けないけど)ですが、今回は「流行唄:港はなれて」(西岡水朗[作詞]奥山貞吉[作曲・編曲]松平晃[実演家]/製作者(レーベル):コロムビア(戦前)発売年月日:1933-08)でどうぞ。なんか正月っぽくて良い。

「變電叢書」刊行予告

  • 第一篇 野川隆著作集1 前期詩篇・評論・エッセイ 2015年1月予定
  • 第二篇 野川隆著作集2 中期詩篇・評論・エッセイ 2015年2月予定
  • 第三篇 野川隆著作集3 後期詩篇・小説・評論・エッセイ 2015年3年予定
  • 第四篇 橘不二雄『腕の欠伸』(未定)

四篇は変電社復刊宣言(第6宣言)予告しております橘不二雄ですが、こちらが所謂「オーファンワークス」のためまだ皆目見当がついておりませんが年始に諸々調査アクション実施予定です。「變電叢書」可能なら2015年内に第五篇〜気合いで十篇くらいまで出せればいいなと思っております。もしかすれば『朝から夜中まで』もしくは青空文庫未収録の『過渡期の横光』作品アンソロジーを出すかもしれませんし、さらには『技師ガーリン』を復活(!)ラインナップさせるかもしれまんしまったく別の作品にフォーカスするかもしれません。実は『白山の野郎ども』調査の結果新たに面白い経歴の詩人らが発掘されていて、

白山詩人1号2

前回の白山詩人第一号奥付から今回は追加で黄色の枠の二名です。「角田竹夫」「勝承夫」なる人物ですが、こちら二人ともやはり「20世紀跨ぎ生まれ世代」の「白山の野郎ども」系譜の洋大詩人の一人です。ともにアバンギャルド系ではない詩派ですが、角田竹夫『微笑拒絶』がNDLデジコレでは「インターネット公開(許諾)」で閲覧可能です。またこちらで詳細がありますが、没年情報現状不明です(これは許諾ということは、著作権利相続者の許可を取っているというこですが)。そして角田は実は先の變電叢書『野川隆集』でも登場してきており、

“●竹の小路で(角田竹夫)
 どうも困る。角田君はまだ「新詩人」時代の臭味を脱して居ない。新しく「出發して」くれることは有難たいが、かう云ふ詩を棄てて突進してもらひたい。”

變電叢書『野川隆著作集1』「太平洋詩人二月号の詩」

と野川隆に叱られている詩人でもあります。そしてこの角田と、上の『白山詩人』「會友」欄にありますが黄色枠入れてませんが岡村二一と赤枠の岡本潤多田文三らと『紀元』という詩誌を作っていたのが、もう一人の人物である「勝承夫」またの名を「宵島俊吉」です。
勝承夫 Wikipedia
この方ももちろん「20世紀跨ぎ生まれの世代」であり、東洋大学出身「白山の野郎ども」の詩人であり、おそらくこの「會友」の中で最も世間的に成功した人物ではないでしょうか。戦後文部省音楽教育分野にプロパーとして数々の校歌の作詞家として活躍され、また「日本音楽著作権協会会長」(JASRACですよ!JASRAC!)であり、また本日青山学院大学初優勝を果たしました「箱根駅伝」にも関わりがあり、以下Wikipedia引用ですが、

昭和28年(1953年)に「駅伝を讃えて」を、読売新聞紙上に発表。この詩文は、箱根駅伝第60回大会を記念して詩碑として刻まれ、往路ゴール・復路スタートの地点である芦ノ湖の湖畔で見ることができる。

のだそうです。こちらいつものでんでんコンバーター to bib/i で引用公開してしまおうかと思ったのですが、JASRACが恐いので變電社はPDではないものの引用は学術調査利用以外は載せない方向で考えておりますので、ググっていただければと思います。市井の駅伝ファンサイトを参考ください。

またこちらのブログで誠に詳細に渡り「勝承夫」の事実を丹念に調査記載していただいており、戦前東洋大詩人調査の後発隊としては非常に勉強になり助かりかつ感動いたしました。
猫面冠者「番外編:“若き天才詩人”宵島俊吉(=勝承夫)」2009/09/04 00:07
かの木山捷平が勝承夫をあこがれて入学してきたというのだから驚きです。「今で云へば、三島由紀夫と太宰治を一緒にしたやうな人気があった」と井伏鱒二に語らしめるような人物であったとは!そしてまさか僕の個人的ランニングコース多摩川・浅川合流地点にある都立日野高校校歌の作詞家であったとは!

もっとも「勝承夫=宵島俊吉」は戦後東洋大理事長になるなど大いに立身出世され1981(昭和56)年8月3日までご存命であったために、残念ながら(?)オーファンでもなく、パブリックドメインではありませんので「變電叢書」として出すことが難しそうです。よってNDLデジコレの「インターネット公開」コンテンツはありませんが、「図書館送信限定」「国立国会図書館限定」では読めるようです。今度また都立図書館国会図書館行った際は閲覧してみようかと思います。

野川隆と勝承夫

しかし一個の詩誌に参加した面子をながめて、それぞれの詩人の人生行路がまざまざと映し出されてくると、なんとも感慨深くありますが、かような三島太宰と並び稱されたようなカリスマヤングポエットの右旋回の軌跡描いた先に着地した「校歌」詩人・JASLAC会長・大学理事長として天寿を全うした生もあれば、「藝術革命派から革命藝術家へ」左旋回の放物線を描きながら落ち延びるように満洲に渡り獄死に近い形で没した生もあったわけです。

今回の變電叢書『野川隆著作集1』追って諸々フォロー解説していきたいと思っておりますが、掲載誌毎編年体式に並べたせいでかの「G・G・P・G」時代の「最前衛」期が一番最初に詰まってしまっているせいで相当に濃い感じの『著作集1』になってます。

もっともここらは相当にすっ飛んだ頃の野川の無頼っぷりが解るとともに、研究者以外は人目に触れることもなくただ書庫に眠り続けているだけの詩であり非常に貴重であり個人的には大変面白いわけですが、今回の『著作集1』の後半部分には野川中期へ離陸し始めた頃の平明な詩も治めています。

章で云うと、『文藝解放』『太平洋詩人』『銅鑼』の大正15年~昭和2年にかけての時期で、野川が起稿している記念すべき『文藝解放』第一号は来なかった大正16年1月1日発行予定であった事実も非常に面白い、その昭和2年春には過去の前衛期の難解さを総括して「橋よ燒けろ」発言を書いていたりもします。

そして中期への離陸が決定的となるのが草野心平『銅鑼』(ここには生前の宮澤賢治や八木重吉も詩を発表しています)に寄せた「旋風」であり、野川隆の同人参加を草野心平が非常に喜んでいる後書きなども殘っていますが、前期野川からは想像のつかない平明でまっすぐなプロテストソングを歌い始めています。

ここで「歌う」と書いたのは、まさにその方向へ野川がシフトしようとし始めていた経緯などはまた中期野川の著作集2への準備のために後日書きますが、そんな「旋風」を毎度の池田ゲバラ隊長が早速歌ってくれております!
Check this out!

この「歌う」方面へ詩を持っていこうとした野川と、やはり「歌う」方面に活路を見いだした勝との、まるで左右鏡合わせのような二人の細かい生の比較検証は逐次触れてまいりたいとも思いますが、それが『野川隆著作集2』の準備ともなるはずです。

「變電叢書」紙刊行予告

さて脇道それましたが、なにはともあれ今回の變電叢書第一篇『野川隆著作集1』近日bccksでの展開の際に新書サイズで紙も刷る予定です。今回もカバーデザイン担当の牧瀬”アリアリ”洋氏が最高のを仕上げていただき誠にありがとうございました。背表紙・裏表紙入れるとこんなにイカす!

イカす牧瀬洋デザイン

イカす牧瀬洋デザイン

まさに僕の期待を超えるクールなデザインでMerzであり、この戦前の「新興藝術派叢書」的なものを所望したところそれを超えるいかすモダンなデザインで社主大満足です。

新興芸術派叢書 復刻 10 『街のナンセンス』龍胆寺 雄 ゆまに書房刊2000年

新興芸術派叢書 復刻 10 『街のナンセンス』龍胆寺 雄 ゆまに書房刊2000年

実際に野川隆詩集が当時発行されていればこのテイストであったに違いないと思えており以下『極東ロシアのモダニズム1918ー1928』町田市立国際版画美術館図録画像の比較検証のために転載しますが、

小野十三郎詩集「半分開いた窓」岡本潤詩集「夜から朝へ」 『極東ロシアのモダニズム1918ー1928』町田市立国際版画美術館図録 2002年より

小野十三郎詩集「半分開いた窓」岡本潤詩集「夜から朝へ」
『極東ロシアのモダニズム1918ー1928』町田市立国際版画美術館図録 2002年より

村山知義役トラー詩集「燕の書」萩原恭二郎詩集「死刑宣告」 『極東ロシアのモダニズム1918ー1928』町田市立国際版画美術館図録 2002年より

村山知義役トラー詩集「燕の書」萩原恭二郎詩集「死刑宣告」
『極東ロシアのモダニズム1918ー1928』町田市立国際版画美術館図録 2002年より

この「變電叢書」が古本屋に上記詩集と並んでいても遜色ない(!?)ではないか!と心から歓喜しておりますが、よって變電叢書三巻までを抱え持って2015年5月4日(月祝)開催「第二十回文学フリマ東京」で限定50冊つづくらいで出店しようかな!と企んでます!オーサリングも間に合うか!またも時間との勝負になりましたが、なにはともあれストア配布までもう少々お待ち下さいませ。

本年もよろしくお願い申し上げます。

變電社社主 持田泰

【変電社復刊宣言予告】野川隆と橘不二雄と「白山の野郎ども」【橘不二雄『腕の欠伸』文化庁裁定に送り出すよ宣言】

無沙汰しております社主代理持田です。唐突に、と言いますか毎度のことですが、余談から始めますが、先日、渋谷-六本木間を結ぶ都営バスの深夜運行が連日閑古鳥が泣いて試行期間1年をまたずこの11月1日をもって最終運行日となりましたが、珍事が置きました。その際のニュースが以下。

ガラガラの深夜バス ハロウィンと重なった終了日に客最多となる皮肉 livedoorNEWS 2014年11月1日記事

 2020年の東京五輪・パラリンピックを見据え、夜の交通の利便性を高めるため、猪瀬直樹・前東京都知事が始めたが、舛添要一知事が9月末、利用者の低迷を理由に、試行期間1年の終了を待たずに廃止を決めた。
 この日は、前夜のハロウィーンと重なり、大勢の仮装した客が乗り込むなど、一晩の利用者数は皮肉にも過去最多の512人に上った。

このニュースを見たときに僕は「皮肉」は聞こえずに、しみじみと都会的メルヘンを感じていたわけですが、どちらかといえば近年にわかに盛り上がりを見せる都内のハロウィーンの喧噪に毎年嫌味のひとつでもツイートしたくなるような偏屈さを持つ中年たる自分も、このニュースでもって妙な蟠りが解けて、ゾンビやゴスロリや小鬼たちに混じってそのアルコール臭い最終バスに乗っていたかった!このバス停で「看護婦ゾンビ」と「バニーガール」が乗車しあのバス停で「バットマン」と「スーパマリオ」が下車する!ああ何往復でもしていたいな!と思わせるに充分であります。都市のネオンに酩酊しながら何往復でも。

で、話を本論に戻すと僕はこのバスというのは非常に「時代」に似ているな思えた。前回(【秋の変電書月間’14】「村山知義の強引」ゲオルク・カイゼル作/北村喜八訳『朝から夜中まで』)で取り上げた世代論「20世紀跨ぎ生まれ世代」の群像をこの「『20世紀』発バスの乗客」で捉えると、個人ではなく車両に襲いかかった「時代」のうねりが判るのではないか、と思えた次第です。

「20世紀」発のバスが出た。そのバスに始発から乗っている人も入れば途中から乗車した人もいて、また「ダダ」でバスに乗り仮装を変えて「ボリシェヴィキ」で降りた人がいる。「アナキズム」で乗り「獄死」で降りた人もいれば「大東亜文学者」で降りた人もいる。その「終着はどこだったのか?」は誰も判りはしません(まだ辿り着いていないのかもしれない)が確かに「20世紀」発のバスが出た

で、今回は久しぶりそのバスの乗客であるところの野川隆—「アヴァンギャルド」で乗り遠く「満洲協和會服」で降りた彼の作品を「でんでんコンバーター×BiB/i」公開のつもりでしたが、ここ数ヶ月の永田町(NDL)広尾(都立中央)立川(都立多摩)図書館詣での中での見えてきたもう一人の「乗客」橘不二雄に触れておきたい思います。

というのも彼の調査の結果「『20世紀』発バス」の乗客群像に、ひとつ認識が追加されつつあるので、今回の「白山の野郎ども」というサブタイトルをつけました。当初これらを「白山アヴァンギャルド」なんて勝手に呼んてみようかとも思ったのですが、とくにイズム=イストは混成でいいのではないかと。アヴァンギャリストもダダイストもアナーキストも果てはマヴォイストもネオシュプレマリスト(初期野川が名乗った)も全て引っ括めた「野郎ども」でいいのではないかと考えた。

この「野郎ども」表記は特段ふざけたわけではなく、かのポール・E. ウィリスの『ハマータウンの野郎ども』でいうところの「対抗文化」の担い手としての「野郎ども」というニュアンスであり、

その学業を放り出して長髪にルパシカを着てゴム長靴で銀座上野浅草の街路を練り歩き吠えて叫んだ大正期の「野郎ども」の姿は、南天堂書店の歴史を寺島珠雄の遺作にして名著『南天堂―松岡虎王麿の大正・昭和』でも描かれています。

そして今回記事タイトルにありますように最初に宣言予告しておきます。変電社は野川隆を著作選集として復刊させた後、この橘不二雄の詩集『腕の欠伸』を正当な手続きをもってして復刊させます

「謎の詩人」橘不二雄『腕の欠伸』復刊宣言予告

腕の欠伸 : 詩集』(コマ数:31)
著者:橘不二雄
発行年:大正14(1925)年10月5日 出版社:ドドド社
国立国会図書館デジタルコレクション「近代デジタルライブラリー」

こちらやはり「インターネット公開(裁定)著作権法第67条第1項により文化庁長官裁定を受けて公開 裁定年月日: 2012/03/01」のためサムネイル公開いたしませんが、しかしこんな「文化庁裁定」という煩わしいところまで手続きをしてくれたからこそ本作と読むことができたわけですからNDLは偉大です。

なお先ほどの「正当な手続きをもってして」というのは何かというとこの「文化庁裁定」、つまり「文化庁の著作権者不明等の場合の裁定制度」を変電社も正式に利用してみようと考えています。幸いにもこの8月に随分とこの裁定制度の「相当な努力」ハードルが下がったという朗報があったわけですから、やはり乗るしかないビッグウェイブ。

『文化庁の著作権者不明等の場合の裁定制度』の「相当な努力」ってやつ

その『文化庁の著作権者不明等の場合の裁定制度』とは何ぞやということですが、軽く説明してておきます。

著作権者不明等の場合の裁定制度

上記ざっくりまとめると著作権者不明作品=オーファンワークスでも正式な手続きを踏めばその著作を国の保証のものとして出してもいいよという文化庁の制度なわけですが、以前に紹介させていただいた福井健策先生のオーファンワークス問題記事でもこう説明されている制度です。

内容は、権利者を探す努力を尽くしてそれでも見つからない作品については、文化庁が審査した上で、権利者に代わって許可を出し、補償金を供託すれば利用できるというもの。この制度、EUが導入中のものとの違いは、向こうは「探す努力をしたら使って良い」ルールで、日本は「探す努力をしたことを証明し許可を貰って使う」点。
 確かに世の中には制度を悪用する輩がいるから、政府の判断をかませる日本方式は安心だ。ただ、実はこのタイプは敷居が高い。EUでもこの形態は運用コストが高く、「利用が進まないのが欠点」と整理している。
 現に日本の裁定制度、従来の利用率は極端に低く年0~2件程度、最近若干の制度改善で利用率が上がったとはいえまだ年30件程度だ(しかも学習参考書系に偏る)。改善はされているが、潜在的なオーファン利用の需要はこんなものではないだろう。

——「そろそろ本気で「孤児作品」問題を考えよう」INTERNET Watch(2013/3/12)

その世界と比較しても結構煩わしい日本の「裁定制度」ですが、その中でもとくにハードルを高くしていた部分が以下「相当な努力」部分でした。

裁定申請を行うにあたって
 本制度は、権利者が不明な場合に利用することができる制度であることから、権利者が不明であるという事実を担保するに足りる程度の「相当な努力」を行うことが前提となります(法第67条第1項、同第103条、令第7条の7、告示第1条から第3条)。

「でした。」と記載したのは「相当な努力」がこの夏に大幅に見直しがあったわけです。 

文化庁「平成26年8月に「相当な努力」の内容を見直すとともに、「裁定の手引き」もあわせて見直し、運用の改善を図りました。PDF形式(278KB)

【見直し前の「相当な努力」】
ア)権利者の名前や住所等が掲載されている名簿・名鑑類の閲覧
イ)ネット検索サービスによる情報の検索
ウ)著作権等管理事業者等への照会
エ)利用しようとする著作物等と同種の著作物等の販売等を行う者への照会
オ)利用しようとする著作物等の分野に係る著作者団体等への照会
カ)下記のいずれかの方法で、公衆に対し広く権利者情報の提供を求める
・日刊新聞紙への掲載
・CRICのウェブサイトに30日間以上掲載
【見直し後の「相当な努力」】
①ア、イのうち適切なものを選択すればよい
②エの照会は不要とし、ウ及びオの照会をすれば
③カのうちCRICのウェブサイトでの広告について、申請に必要な掲載期間を7日以上に短縮する

閲覧照会先が選択制になりかつCRICへの「ウェブサイトでの広告」が「30日間以上掲載」を「7日以上に短縮」です。また運用の改善で「一律8,100円」とディスカウント。5年毎の更新再申請も申請者ベースで申請できるとのことなので、まあ、とりあえず、やってしまおうかと。「供託金」算出方法など、実際版元でもない人間が進めるには不明点も多いけれども、かえってずぶの素人が人体実験するにはよい先例になるのではないか?と踏んでおります。まとまった資本が必要な場合は、クラウドファンディングしてしまうのもありじゃないのかなと。なにはともあれずぶの素人なりにあらゆる手を使えばいいのであります。

といったわけで、改めまして橘不二雄『腕の欠伸』復刊宣言予告であります!ただし野川隆の後なので来年早々始動予定という意味で「予告」です

「橘不二雄」なる乗客

さて、そもそもの「橘不二雄」なる詩人ですが、実はこの「橘不二雄」は以前にドン・ザッキーを紹介(林芙美子と野村吉哉とドン・ザッキーと「詩」の時代)した際の「近デジ漁」の中でも視界に入っていて、その時は何者だかさっぱり判らず留保していた詩人です。そして実のところ文献調査をしている現在でも何者だかほぼわかっておりません

ただし同時代の「詩誌」漁りの中でようやく見えてきた輪郭として、この「橘不二雄」なる人物が「20世紀」発バスの中でもドンザッキー、野村吉哉、村山知義そして野川隆の近くに確かに座り、そして何も言わずに降車した詩人であることは判明しました。ゆえに僕は驚いているわけです。みんなそんな近くにいたのか!と。

橘不二雄が『腕の欠伸』収録作品の初出はドン・ザッキー「世界詩人」村山友義「マヴォ」であり、そしてそのマヴォ系で村山、岡田龍夫、多田文三ととも同人にも連なる「ド・ド・ド」(今回の『腕の欠伸』もドドド社で出したわけですが、雑誌初出時と異同も発見しています)。他にも『腕』未収録作品の詩片を村山、岡田、多田とともにマヴォ「後継誌」ともおぼしき「ヒロドパス」に出していたりします。どうもその時期の橘は前衛詩界隈では少し名の知れた存在で、「近代詩歌」大正14(1925)年11月「詩壇時評」にて小野十三郎が「ドンザッキー・遠地輝武・橘不二雄詩集評」を書いていることも広告から判明しました、が内容未確認です。その広告という部分で「ド・ド・ド」裏表紙記載されていた自社広から発見して個人的に驚いた箇所があります。

「ド・ド・ド」裏表紙広告

「ド・ド・ド」裏表紙広告

本来『腕の欠伸』自体もそのマヴォ系岡田龍夫装幀であるようなんです。「本来あるようなんです」というのもNDLデジコレ所蔵だと表紙消えているので、「ド・ド・ド」裏表紙の詩集広告を見るかぎりの判断でしかないわけですが、ここで一緒に村山知義訳トルラー(※前回のゲオルク・カイザーと並ぶドイツ表現派劇作家でもあるエルンスト・トラーの詩集)『燕の書』ならびに、かの萩原恭二郎『死刑宣告』といっしょに並んでいるということですから、岡田龍夫の燦然と輝くマヴォ系アヴァンギャルド装幀であることは間違いなさそうなんですね。岡田龍夫装幀がどんなものかといえばググるとこんな感じです(※なおここには並んでいませんが岡田龍夫装幀の斎藤秀雄『蒼ざめた童貞狂』はこないだ日月堂さんでシェアされておりました)。なお岡田龍夫が何者かというと、村山知義、高見沢路直らと「マヴォ」の過激分子として散々に暴れ回った戦前アヴァンギャルドの牽引者です。やはり彼も1930年代に渡満しています。がその後の行方が知れていません。

またもうひとつ重要な関係性も発見しており、以下、東洋大学系詩誌「白山詩人」第一号の奥付の会友欄に

「白山詩人」1号奥付

「白山詩人」1号奥付

橘不二雄は岡本潤小野十三郎多田文三、また野川隆と同じく「白山詩人」東洋大学系詩人だったことも判りました。もしかすればですが、橘も「20世紀跨ぎ生まれ世代」の彼等と同年代であり、また取り上げた全員と共通する「中退組」ーそれも1年足らずの早期中退組だったのかもしれない。すなわち名門「洋大」を捨て街に飛び出した「白山の野郎ども」。なお上記メンバーのうち「多田文三」もまだまだ謎の多い人物で今後調査して行きたいと考えています。

戦前「詩人大学」洋大の系譜

今では東洋大学「洋大」=名門と云われても想像つかないかもしれませんが、戦前期旧制学制期、東大、慶応、早稲田、東洋で「東京四学」と云わしめ、「白山の哲学」や「詩人大学」とも呼ばれた事実があります。東洋大学のページの東洋大学史エピソード集でも部分的に紹介もされていなくもないですが、ピントが結構ずれています。

白山文芸運動(大正7(1918)年)
大正7(1918)年、在学生によって「東洋大学文芸研究会」が創設され、のちに学外にも開放されました。公開講演会、文芸夏期講習会では、当時文壇・論壇の第一線で活躍していた、田山花袋・島崎藤村・谷崎潤一郎・有島武郎・和辻哲郎らを講師に迎えるなど、東洋大学文芸時代の到来という感がありました。そのほか『白山詩人』『白山文学』など、多くの文芸同人誌が刊行されています。現在も文京区向丘にある書店「南天堂書房」は、かつて二階に喫茶店「レバノン」、三階に出版部があり、林芙美子、草野心平、宇野千代、辻潤などの若い作家が出入りしていました。そこに東洋大学の学生も加わり、南天堂書房の二階「レバノン」は、詩人・作家を目指す若い人たちに大きな刺激を与える場所となっていました。

ここきっちり突っ込んでおくと、この大正期の南天堂二階に「レバノン」という名のレストランがあったという事実はありません。「レバノン」という店名は今東光が言い出したことで、先の『南天堂―松岡虎王麿の大正・昭和』で寺島珠雄が細かい検証の結果否定されています。またここで歌われているような「白山文芸運動(大正7(1918)年)」なるものが実質あったのかどうかという話でもありますが、同時期に大杉栄宮嶋資夫辻潤萩原恭二郎などなどアナキストダダイスト詩人作家画家主義者芸術家が集まった華やかりし頃の松岡虎王麿時代の南天堂二階にはとくに名称がなく、その後彼が夜逃げ同然でお店を手放した後の昭和期に「レバノン」という店名がついたようです。

そしてここで南天堂に「林芙美子、草野心平、宇野千代、辻潤などの若い作家が出入り」と書いているけれども、南天堂に出入りしてた頃の辻潤は40にさしかかるおっさんで「若い作家」と呼べる年齢ではないでしょうし、そしてせめて自分の大学に通った作家らを紹介した方がいいんじゃないでしょうかね。ここで取り上げている作家誰一人東洋大学に籍を置いてないじゃないですか。だったら、さきの「白山詩人」創刊号に名を連ねた「赤と黒」岡本潤、小野十三郎や「G・G・P・G」野川隆、「ド・ド・ド」橘不二雄の中退組「野郎ども」詩人でいいじゃないのかと思えます。

他東洋大から輩出されたビッグネームと言えば葛西善蔵坂口安吾木山捷平のほか、歌人前川佐美雄もいます。

1887年(明治20)年生まれの先輩各の葛西善蔵は置いたとしても、1906(明治39)年10月20日生まれの坂口安吾、1904(明治37)年3月26日生まれの木山捷平、1903(明治36)年2月5日生まれで前川佐美雄と、彼等もかの「20世紀跨ぎ生まれ世代」に遅れること数年です。安吾の初期ナンセンスファルス(笑劇)も前川佐美雄の戦前歌壇に衝撃を与えたモダニズム歌集「植物祭」も同じこの「白山の野郎ども」の山系と捉えてもよいのではないか。

つまり本郷(東大)横、白山(洋大)には、南天堂周辺たむろっていたアヴァンギャルド/アナキスト/ダダイストたるところの「野郎ども」詩人たちを発火点としたカウンターカルチャー圏が確かにあった、なんてことを考えているうちに平日21時まで開いてる広尾の中央図書館を追い出されて、プラプラと南麻布抜けて白金を通過してたら都営三田線「白金高輪」駅に行き当たり、ああそうかこの三田線乗れば「白山」まで一本だなと思い、そのまま呼ばれるようにして「その地」に行ってまいりました。

東洋大学学長井上円了像と秋の宵

東洋大学学長井上円了像と秋の宵

学内に潜り込んで見上げた初代学長井上円了銅像に「先生のところの不良中退組が残した詩片を21世紀の世に公開してみようと思います」と手を合わせたところ、先生はうんともすんと云わず静かに旧白山通りを見下ろしておられる。その道を都市的で妙ちきりんな詩を書いて喚いた90年前の「野郎ども」も下ったに違いない。閉店後の現・南天堂をパシャリして、ちょうどやって来た巣鴨駅行きのバスにのって帰った秋の晩であります(なお現在の二階には彼らが集ったレストランは無論なく学習塾?みたいになっているようです。)

現在の南天堂(閉店後)

現在の南天堂(閉店後)

しかしここまで来たのだから一篇だけ詩を紹介したい思いに。実は『腕の欠伸』収録作品とは一部異同がみられる「ド・ド・ド」掲載時の作品であり、この度は学術研究的な意味で紹介させていただきます。「僕は唾液をかすかに飮みこんで」の文が『腕の欠伸』収蔵ではありません。

橘不二雄『月と列車とのダダ的關係』大正14(1925)年6月

『月と列車とのダダ的關係』

念のため再度触れておくと、橘不二雄ほぼまったくわからない人物です。もし今回の記事を読んでに詳細が判る方がいらっしゃいましたら是非ご一報くださいませ。

現在判明している「橘不二雄」

事実

  • 大正期アバンギャルド詩人として大正14(1925)年6月に『ド・ド・ド』登場
  • 詩集『腕の欠伸』をマヴォ系岡田龍夫装幀で大正14(1925)年10月に出版
  • 「近代詩歌」大正14(1925)年11月「詩壇時評」にて小野十三郎「ドンザッキー・遠地輝武・橘不二雄詩集評」の広告を発見するも内容未確認
  • おそらく詩誌「太平洋詩人」第2巻第1号 昭和2(1927)年1月号の「詩人住所録」を最後に彼の名前が詩壇から消える。住所録には「橘不二雄、市外戸塚町源兵衛一五六」と記載。現在の高田馬場の新宿諏訪町郵便局近辺。

想定

  • 誕生年想定として「20世紀跨ぎ生まれ」1900〜03年くらいの可能性。
  • 東洋大学在籍(1918〜26)者であるものの中退詩人の可能性。
  • 次回は野川隆で

    さてここで橘不二雄は一旦置いて、次回は野川隆の初期「野郎ども」時代の初期詩編紹介に参ります!

    社主代理 持田泰

    【大復活祭!電誌「トルタル」5号発刊記念】「野川隆の放物線Ⅱ」詩編『數學者の饗宴』『哈爾浜風物詩』他【続きはトルタルで!】

    8月31日のこんな時間と言えば脂汗と涙の記憶しかなく夏休みの宿題などというものは児童虐待だと信じてやみません夏休み大好き社主代理持田です。さあ!とうとう開封!電誌「トルタル」大復活号でございます!本日8月31日正午リリースの際は私インドカレーを食べていたために、DL現場はこんな風景になりました!

    トルタルとカレーのある風景

    トルタルとカレーとチキンとナンのある風景

    緑色のサグカレーと良く合う!トルタル5号のダウンロードURL以下です。

    直接ダウンロード
    http://bit.ly/toru_5
    ブラウザを経由してのダウンロード
    http://bit.ly/Toru_5

    またトルタルの読み方が解らない方はこちらをご参照ください。
    トルタルの読み方note
    http://bit.ly/ToruYomi

    本号が「満を持して」に相応しく非常に濃厚な復活号になっております。いつもの寄稿陣のトルタル愛溢れる連載も見逃せませんが、本号きっての目玉は『BANKSY YOU ARE AN ACCEPTABLE LEVEL OF THREAT【日本語版】』『BANKSY’S BRISTOL:HOME SWEET HOME』の翻訳者・毛利嘉孝氏、鈴木沓子氏へのインタビュー「バンクシーって誰」。

    それがたったの0円!これは端末に落とさない手はありませんよ!

    そしてもちろん今回変電社も頑張った!中表紙を野川隆の40代の肖像を利用してイラストレーター牧瀬”アリアリ”洋氏にこさえていただきました!ダダ!DADA!イカす!

    「野川隆の放物線Ⅱ

    前回記事の「野川隆電子書籍化宣言」たる「変電社第五宣言」として「野川隆の放物線」続編を寄稿しております。電子ではもちろん紙でもそう簡単に拝めない詩を10篇と「作者の言葉」を1篇、前回に続きでんでんコンバーター×BiB/iでEPUB本邦初公開としております。また彼の作品を追いながら真面目にバイオグラフィを追っております。どうぞご賞味ください。トルタルは作品はリンク紹介になるので、ビュワー画面つきで今回こちらに抜粋版を紹介いたします。

    以下トルタル5号「変電社第五宣言ー野川隆の放物線Ⅱ」(抜粋)


    野川隆「野川隆の放物線」Ⅱ 詩編

    『満州短編小説集』滿洲有斐閣(1942)「作者の言葉」69頁(38コマ)より

    『満州短編小説集』滿洲有斐閣(1942)「作者の言葉」69頁(38コマ)より

    さて野川隆「詩」を公開いたします。20年代アバンギャルド運動の砲台から高く発射され大きな弧を描いて遠く海を超えて遥か北満の大地に確かに着弾した「野川隆の放物線」ですが、今回は「詩」の側面です。

    既に今号の牧瀬洋氏イカす中表紙デザインであしらってもらっていますが、改めまして野川隆の顔写真もこちらに公開します。昭和16(1941)年7月芥川賞候補作となつた『狗寶』の頃なので、40歳の頃の野川ですが、戦後様々な形で語られる際(稲垣足穂、大岡昇平、平野謙、塙英夫、等)に若き野川の「美青年」逸話が必ず出てきます。野川隆が書生で住み込み「エポック」から一緒に活動していた玉村善之助(方久斗)家の奥さんの竹久夢二式美人と駆け落ちしたり、その後ハーフかと見紛う「邦子」夫人と再婚したりと。その玉村善之助(方久斗)の『世の中』昭和14(1939)という随筆集で語るところの「これらの若ものはきまつて長髪とラツパズボンといういでだちであつたし、藝術家気質の多い文芸道を口にしながら過激な社会問題に関心を持つものの如くであつた」若き詩人たちの肖像はまた別の機会に。

    野川隆『數學者の饗宴』大正11(1922)年11月

    『數學者の饗宴』
    大岡昇平『野川隆のこと 』より引用p15~16(9コマ目)
    掲載先「海. 13(10)(150)」発行日:昭和56年(1981-10)出版社:中央公論社
    国立国会図書館デジタルコレクション※「国立国会図書館限定」コンテンツのため複写サービス利用

    『GGPG』前身の『エポック』での掲載詩ですが、前衛期当時の野川の詩に関して非常に理知的でモダンです。文学に物理学を持ち込んだ先駆者が「稲垣足穂」だと言われているが、「非ユークリッド幾何学の大立者でもある人の名を、日本文学の中に入れたのは野川隆君であることを諸君に銘記してもらいたい」と稲垣足穂自身が「『GGPG』の思い出」で明確に語っているところです。この稲垣足穂ですが、野川隆・孟兄弟と関係が深く、以前ブログでも野川隆の兄、孟が初代「江戸川乱歩」だったという話をに少し触れましたが、それを立証しているのも彼です。

    「野川孟は最初〈江戸川乱歩〉で平井太郎の『江戸川乱歩』は第二次です。探偵小説の『江戸川乱歩』が野川隆のお株を奪ったというわけ。野川(孟・隆)兄弟は四谷の電車通うらの鍵手の入った所にある真四角な二階館に住んでいるとのことでした。空地にキャベツを作っていて、キャベツばかり食べているとのこと。この四角い家の話によって、私は一千一秒の中にある「自分のよく似た人」を着想しました。私は辻や高橋に代表される泥くさいダダを好みません。チュリヒ的なダダも日本に在ったということで「G・G・P・G」はもっと世間に知ってもらいたいと思っています」

    —中野嘉一『前衛運動史の研究』沖積舎 p381

    つまり知的に洗練された「チュリヒ的なダダ」と足穂に言わしめた『ゲエ・ギム・ギガム・プルルル・ギムゲム』(GGPG)ですが。このこの誌名について野川隆が創刊号後記にこんな言葉を残しています。

    この名前について、じきに意味を聞きたがる人があるが、そんな必要はない。少なくとも、私一個人の解釈に依れば、音楽的な感覚をわかつて呉れればよい。蛇足を付け加へるならば、都会の街々に動く、機会で出來た人間的な動物人形には、Gの発音の振動数と波形が気に入ったのである

    また、壺井繁治がその頃野川によって訳されたらしい「立体派詩集」は、あの萩原恭二郎詩集『死刑宣告』「日比谷」へ影響を与えたとも伝えています。その頃の翻訳詩をいくつか。

    〜(中略)〜


    続きは「トルタル5号」で是非どうぞ!!
    直接ダウンロード
    http://bit.ly/toru_5
    ブラウザを経由してのダウンロード
    http://bit.ly/Toru_5


    野川隆『哈爾浜風物詩』康徳7・昭和15(1940)年5月

    『哈爾賓風物詩』
    掲載誌『満洲観光(聯盟報). 4(5)』p12~15(8コマ目)
    発行日:昭和15(1940-05) 出版社:満州観光聯盟
    国立国会図書館デジタルコレクション※「国立国会図書館/図書館送信参加館内公開」コンテンツのため複写サービス利用

    以前も詩編一部を紹介しましたが(【行って来たよ!】国立国会図書館図書館向けデジタル化資料送信サービス体験レポ【美味しいマカロニ】)その全文になります。野川渡満後の2年目の作品であり、個人的には持田が一番お気に入りの長詩です。「哈爾賓」とは言わずもがなで満州内陸中央に位置する「ハルピン」ですが、1896年ロシアが清国に東清鉄道を敷き交通の要衝としてロシア人を初めとする人口が急激に増加し経済の発展した純然たるロシア式市街を持つ植民都市です。

    掲載誌「満洲観光」に相応しく、その「哈爾賓」観光としてその「旅情」を描きながら、その満州社会の矛盾を嗤うところの「風刺」、そしてその歴史への深い「憧憬」を、あますことなく歌い切っているように思えます。最終章で野川は「性格の異なつた哈爾賓の街に/哈爾賓らしさの要素の一つを/見逃すまひと若しも思つたら/高台のぼつて見はらすがいいのだ」と歌います。

    帝政ロシヤのきづいた街の
    生きたおもかげがそこから見られる
    天空を指す寺々のドームと
    計畫的に植えられた樹々と林の
    こんもりとしたみどりの波うつなかに
    忠靈塔の尖つたさきが
    歴史の頁を突きさしてゐる他は
    瑣末ものはその昔の
    都市計画のなかに沒入し去つて
    白系ロシヤ人の生活をきざむ
    彼等の鼓動である寺々の鐘が
    からんからんと響きわたるのだ

    —『哈爾賓風物詩』

    そして「私はかうした風景のなかに/植民地開拓のロシヤ人的な/地味で手がたいやり方を見たり/街や家の經營のなかに/生活に對する理解の仕方の/ロシヤ人らしさを見出したりして/それに眼をしばしば奪われる」と続きます。

    静かな木陰に食卓をもちだし
    自然と生活をせいいつぱいに
    たのしみながらエミグラントに生きる
    荒涼たる滿洲の曠野に
    人工的な綠園を作り
    そこを魂の故郷とさへする
    さういふ彼等を見直さねばなるまい
    新馬家溝は街はずれであるが
    ロシヤがいちばん殘つてゐるのだ
    菩提樹の林
    修道院のドーム
    如何にも田舎じみたロシヤのブフエト
    そしてロシヤ女の羊飼や
    ルパーシユカを着た牛飼などは
    旅の人々からは振向かれないが
    だからこそ
    俗臭も少ない場末だ
    私は此處に來て
    はじめて息をつく

    —『哈爾賓風物詩』

    「荒涼たる滿洲の曠野に/人工的な綠園を作り/そこを魂の故郷とさへする/さういふ彼等を見直さねばなるまい」この吐露は野川の本音ではないか、と思われます。「私は此處に來て/はじめて息をつく」と。

    〜(中略)〜


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    まとめとして変電叢書『野川隆著作集』のご案内

    本年2014年は奇しくも野川隆没後70年です。今回変電社が一番乗りでEPUB化対応したからには今一度残されている野川隆の作品をかき集めて全てまとめみてやろうと目論んでおります。ここまでおつきあいいただいた方は既におわかりのように、時代時代の「キーマン」であったにもかかわらず、いまだにまともに野川隆の作品全貌をまとめられたものがないという事実にも驚きます。つまり今回これは「復刊プロジェクト」というよりは「初の編纂プロジェクト」になるわけです。なにはともあれ変電社として初のパブッリシングイベントになりますが、リリースは2014年12月23日。70年目の命日に世に出せることを目指したい所存です。乞うご期待!

    変電社社主代理 持田
    国立国会図書館2月1日

    【また行って来たよ!】続・国立国会図書館図書館向けデジタル化資料送信サービス体験レポ【いつも陽気で】

    昨晩は東京は45年ぶりの大雪ではしゃぎすぎて翌朝は慣れぬ雪かきで筋肉疲労MAXの中、かの悩ましい都知事選投票にも何とか行って参りましたが、変電社社主総選挙といったものをしてみたら?なんて魔が差しはじめた社主「代理」持田です。
    ところで、前回体験レポが思いのほか好評で大変ありがたいことにマガジン航に「NDLのデジタル化資料送信サービス体験レポ」として編集転載されました!幸いなる哉!変電社登場2013年春以来!

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    【変電社リブート宣言】満洲国変電書ツアー:竹内正一『哈爾賓入城』

    正月三が日も明けてしまいましたが、新年あけましておめでとうございます。大変ド無沙汰しております。社主代理持田です。本年もご愛顧賜らんことをよろしくお願いいたします。

    2013年7月から唐突に放置しっぱなしの当ブログでございますが何も言い訳は言うまい。全ては個人の諸事情にすぎません。ただいかんせん放置しすぎたので前回の続きは失敬ながらこっそり放棄させていただき、なぜならジブリ「風立ち」去ってから「かぐや姫」で某宮崎監督引退撤回かもわからない。有為転変は世の習いとはいえ世間様の流れがあまりにも速く人生はウサイン・ボルトの速度で走り去ります。

    そんな中こんなニュースが昨年末12月28日に流れました。

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    変電社宣言全文【再掲】

    ※以下は2012年12月27日に急遽こさえた変電社日記にて書かれた宣言文再掲です。

    Q:「変電社」とは?

    A:必要に迫られ本日を以て急遽旗上げした「結社」です。
    「変電社」は会社組織ではなく結社です。なお結社のスタンスは「電子書籍読者」です。ビジネス目線も学者目線もありません。かたじけなく思います。ざっくり言うと「変な電子書籍っていろいろあるから読んでみようや」結社です。

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