『透視と念写』福来友吉【レビュアー:古田靖@tekigi】

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透視と念写表紙

透視と念写』(コマ数207)

著者:福来友吉
発行日:大正2年(1913) 出版社:東京宝文館
国立国会図書館デジタル化資料「近代デジタルライブラリー」
Googleplayブックス透視と念写

この電古書はいまから100年前に出版された、日本における心霊・超能力研究の先駆者・福来友吉博士の代表的著作です。紹介される現象はいわゆるオカルト現象ですが、この手の話題につきものの「真実かイカサマか」なんてつまらない了見はひとまず捨てましょう。本書はもっとエモーショナルな読み物です。著者の熱さと優しさを読むべきです。

福来友吉博士は変態心理学(催眠術を用いた心理学)の権威として東京帝国大学助教授という名誉ある地位にありました。しかし彼の経歴は、一人の熊本在住女性・御船千鶴子の登場で大転換します。彼女は封を空けずに中に書かれた文字を読み取る「透視」能力の持ち主でした。博士は目の前でそれを目撃し、本物だと確信します。これがマスコミに取り上げられると、全国から次々と能力者が現れました。福来博士は華々しい成果を報告し続けます。しかし、やがて社会は懐疑の目を向けるようになりました。本書の序文にこうあります。

”物質論者は之に対して激烈なる驚愕と憎悪とを示して居る。夫れが為、本研究に従事して以来、余は罵詈、讒誣、陰擠等種々の迫害を彼らによりて加えられた。”

罵詈は「ばり」、讒誣は「ざんぶ」、陰擠に至っては何と読むのか分かりませんが、とにかくひどいことになったんだなという感じは画数からもすごい伝わってくるでしょう。しかし博士は信念を曲げませんでした。

”雲霞の如く簇(むらが)る天下の反対学者を前に据ゑ置いて、余は次の如く断言する。透視は事実である。念写も亦(また)事実である。”

ウンカのごとく巻き起こった真贋論争は当時の新聞・雑誌もこぞって取り上げました。「千里眼事件」と呼ばれたこの騒動は、鈴木光司「リング」のモチーフになったともいわれています。能力者は「イカサマ」「インチキ」「ペテン」呼ばわりされ、福来博士もこの本を出したのち大学を追われることになります。

学者と世間が糾弾したのには、理由があります。福来博士の被験者には、それぞれ妙な癖があったからです。御船千鶴子の透視は必ず対象物を手に持っておこなわれていました。しかも背を向け、手元を隠すのです。これでは、こっそり封を開けて戻している可能性が捨て切れません。(その他、長尾郁子も念写は必ず自宅でおこなわれました。乾板は指定された部屋に置くよう指示され、実験が終わるまで誰もそこに近づくことは許されない。誰かが乾板に直接細工をすることが可能でした)当然、学者たちはこの条件下でもイカサマのできない仕掛けを施します。すると実験はほとんど失敗に終わったのです。御船千鶴子は大勢の学者を前にして、試験物のすり替え騒動を起こしてしまいます。合理的に考えれば答えは明らかでしょう。

しかし、福来博士は違いました。信じ続けたのです。

”山川博士の試験物を透視する代わりに、自分より受け取りたるものを透視して、夫れを身代わりに出したのは甚だ不心得と咎めねばならぬが、透視其物は真正のもので、詐術を加へたものでないと信じるのである。”

”併し此れは自分や今村君の個人としての常識的信仰であるから、学術的の議論としては甚だ薄弱である。それで自分は自分の信ずる所を、単なる自分の信仰として止め置かずして、之を客観的のものとなさんとの希望から、人の面前で透視の出来る様に練習することを彼女に勧めたのである。”

(第二編「千鶴子の透視」第十二章「千鶴子に対する誤解を弁護す」より)

あきらめない博士は明治43年11月に熊本へ赴き、落ち込む千鶴子に、骰子(サイコロ)をつかった実験を提案します。厳重に封をしたタバコ箱にサイコロを入れて振り、その目を当てるという方法でした。最初こそ千鶴子は背を向けていましたが、最後には正面を向き、手元を見せたままで実験を成功させることができるようになったといいます。博士はこの結果に満足しました。

”別(わかれ)に臨みて、余は千鶴子に向ひ、来年の四月には再び上京し、多数学者の面前にて骰子の目を透視する実験を行ひ、以て曩日(先日)の失敗による恥辱を雪(そそ)ぐべきことを語れり。彼女は「来年の四月には再び上京します」と言ひて、衰弱したる容貌の内に希望の笑ひを示せり。”

 (第二編「千鶴子の透視」第十一章「熊本に於ける出張実験」より)

この一節は胸に迫ります。真贋論争なんぞより、ずっと神々しいものを感じずにはいられません。ちなみに御船千鶴子はなかなかの美人だったそうです。病弱で気も弱く、24歳。嫁ぎ先の姑とそりが合わず、離婚。実家に戻った彼女の能力に気づいたのは、催眠術師でもあった義兄(実姉の夫)でした。その評判が広がり、福来博士の実験へとつながったのです。福来博士は彼女の能力を信じていました。千鶴子は何を考えていたのでしょうか。

”發車の時刻は来れり。余はプラツトフォームより車内に移れり。汽車は進行を初めたり。ニ三分も経たりと思ふ時、余は俄に頭を車窓より出して上熊本の方を見たり。然れども彼女に似たる姿は終に見えざりき。此の時の別れは、終に彼女と余との最後の別れとなれり。”

”四十四年一月十八日午後、千鶴子は毒を仰いで死せり。”

 (第二編「千鶴子の透視」第十一章「熊本に於ける出張実験」より)

御船千鶴子自殺の理由には諸説あり、その真相は分かっていません。千里眼騒動は無関係で家庭内の事情によるものともいわれます。ただ、同じ時期にバッシングを受けた長尾郁子が病気で急逝すると、マスコミ報道と世間の関心は急速にしぼんでいったようです。

熊本の駅で二人が約束した起死回生の骰子実験が実現することはありませんでした。福来博士はその後も研究を続けますが、のちの書籍「心霊と精神世界」などを読むと、本書に見られるような科学的な検証をしようという姿勢は希薄で、宗教的な理論体系や精神世界といったオカルト色が濃厚になっている印象です。なんというかイッてしまったのかな、という感じを禁じえません。

しかし本書執筆時の福来博士は輝いていると思います。どれだけ不利な証拠を突き付けられようとも、自分の目で見た「真実」を信じ、それを科学的に証明しようとしています。能力者たちに騙されているのではという疑念なぞ微塵も感じられません。それどころか彼女らにアドバイスをし、世間に対して擁護し、科学者たちに訴え続けていました。

”古来空前の真理を説き出して世に覚醒せんとするものは、常に月並学者から悪魔の如く排斥せらるるに極つて居る。今後に於ても、余は如何程彼らの為めに悪まるるかも知れぬ。ガリレオは幽閉の身となつても、尚其の研究を継続して怠らなかった。余は如何に月並学者の迫害を受けたからとて、学者の天職として信ずる道を踏まずには居られぬ。学者の天職とは前人未発の真理を開明して善良なる未来を開拓して行くことである。”

結果論的には、これは愚直で、滑稽ギリギリの信念だったかもしれません。でもStayFoolishな生き様は100年経っても最高にカッコイイものだと思います。心からリスペクトします。ご興味ある方はぜひ読んでみてください。

(蛇足ですが、福来友吉博士はマギー司郎にちょっと似ています →Google画像検索

レビュー:変電社社中・古田靖

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