電子の意志
眞空界に放電する
電子の火花は
不可思議にも聲を發して
敗残の過去を物語りながら
電子の意志を宣言するードン・ザッキー『白痴の夢』大正14(1925)年
唐突に妙な詩の一節から始めましたが、これは2013年「明けた」と言われる「電子書籍元年(何度目かの)」について88年前に予言的に歌われた「電子書籍の詩」であると勝手に言い張りたい気分でいる社主代理持田です。ご無沙汰しております。「敗残の過去を物語りながら」ってとこがいいじゃないですか。
無沙汰していたにもかかわらず今回はマイナーまっしぐらで「詩」を取り上げる予定なのですが、こちらは何かと言うと以下、青木正美著『ある「詩人古本屋」伝 風雲児ドン・ザッキーを探せ』でその数奇な人生と謎が解き明かされた戦前のダダ詩人「ドン・ザッキー」こと都崎友雄の詩片です。
ドン・ザッキーとは何者かというと、2008年版三省堂『現代詩大事典』から引用しますとこんな方。
ドン・ザッキー<どんざっきー> 1901.7.11 〜1991.7.8
本名 都崎友雄(つざきともお)早稲田大学で学ぶ。戦闘的ダダイストの詩人として活躍した。1925(大正14)年に詩集『白痴の夢』(ドン社)を刊行、萩原恭次郎に高く評価された。同年雑誌「世界詩人」を主催、主体的な芸術革命運動を展開し、「ドン創造主義」提唱した。また世界詩人例会や、公演会等も企画し、同年11月に第一回秋季講演会を築地小劇場で開催、多くの詩人たちを集めた。のち試作をやめ、古本屋高松堂書店を経営。東京日本古書協同組合の理事や、その機関誌「古書月報」の編集も務めた。青木正美『古本探偵追跡簿』(95.1 マルジュ社)でその生涯を追っている。
さて変電社としましては、この詩人の詩集が国立国会図書館近代デジタルライブラリーにちゃんと所蔵してあったので、いざ紹介せん!としてこの記事を起こしたわけですが、残念なことに当サイトでの表紙サムネイルだけでの利用許諾すらおりませんでした!理由は本作が「著作権法第67条第1項により文化庁長官裁定を受けて公開 」のため国会図書館側では利用許諾の判断が出来ないとのことです。この「文化庁裁定」ならびに「オーファン(孤児作品)」コンテンツに関しての問題は今一度別記事でも取り上げていきたいと考えていますが、まずこの度は、
「白痴の夢 : 詩集」(コマ数:66)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/918489
著者:ドンザッキー
発行年:大正14(1925)年 出版社:ドン社
国立国会図書館デジタル化資料「近代デジタルライブラリー」
上記の単なるリンクを辿って見ていただくとして(飛び先の近代デジタルライブラリーサイトではちゃんと読めますし「印刷する」ボタンから20ページ毎でPDFダウンロードもできますので是非)、今回記事ではあの時代のある側面を紹介していきたいと考えています。関東大震災(1923)から日華事変(1937)という時代にかけての「詩」という側面です。
ちなみに驚くなかれでありますが、現在この『白痴の夢』の古書紙は以下「よみた屋吉祥寺店」で609,315円という価格で取引されています。
驚いた!この約90年前の詩集がちゃんと出てきたことにも驚いた!売る気はあるのか?!という価格ですがレアものです。驚きついでに唐突にNEXUS7で『白痴の夢』で変電社活動している写真を挿絵として入れておきます。
さて
「ドン・ザッキー」こと都崎友雄は長年「謎」の人物であったわけですが、先ほどの「ある「詩人古本屋」伝 」で著者青木正美氏が、ドン・ザッキーの弟子にあたる無名の若い詩人の手書き日記を古書競売で「間違って」競り落としたことから、彼の人生が解明されていくという、誠に不思議な「導き」のようなお話で大変面白く拝読しました。「古書やその資料は必ずそれを求める人、それをもっとも必要としている人のところへ、引き寄せられ辿りつくものだ」だという青木氏が古書業先輩諸氏に聴いたという言葉は世のブックラバーに送り届けたい言葉です。
ところでこの著書でも触れられているようにドン・ザッキーは文学史上で数少ないながら出没しており、林芙美子『放浪記』で
ドン・ザッキと云う面白い人物にあう。おかっぱで、椅子の間を踊り歩く。紙がないので、新聞紙に詩を書いて張る。
ー林芙美子『新版 放浪記』第三部 青空文庫
ああ!何という素敵な登場シーン!またこの「文」がもう「詩」のようだ!僕も「おかっぱで、椅子の間を踊り歩く。紙がないので新聞紙に詩を書いて張る」なんて人生送りたかった!なんて気分にもさせてくれます。ちなみに『放浪記』といえば、女優、故・森光子の「でんぐり返し」で思い浮かべる方も場合によると多いのかもしれませんが、若き林芙美子(創作時25〜6歳)の溌剌としたパッション迸る処女作であり出世作であり、日記形式も手伝って爆発的ヒットを飛ばしまた当時のベストセラーです(この作の「初出」を読んだ社中の古田靖氏曰く「ブログのようだ!」)。
この『放浪記』の時代(連載は1928年から30年にかけて)、現代とは違って「詩人」と呼ばれる表現者が量産されました。同時に「同人誌」も溢れかえった時代であり、とにかく当時の若者はことあるごとに「同人誌」を出して「詩」を書いた。そして大量に書かれた詩を編んで「詩集」も自費出版された。現に『放浪記』にも文章だけでは飽き足らず大量に作中詩を織り合わせ、またその連載中に林芙美子自身が詩集『蒼馬を見たり』を自費出版しています。その林芙美子に目撃されたその「ドンザッキ」の詩はどのようなものだったかというと、
宇宙遠征
世界を紛失致し候
私を紛失致し候
右御届け致し候也
ドンザッキー様ドンザッキー神の罪を
僕は とがめない
相手にしないのださあ
腹がへつてたまらないので
カフェーの隅つこで
ウォッカを飲みながら
フォークを取る友人よだまって呉れ
僕にはラッパの響が聞こえる
獅子と
豹と
駱駝と
鷲と
蛇と…………僕は
宇宙遠征を計劃中なんだ。ードン・ザッキー『白痴の夢』大正14(1925)年
下手すると「お、おう。。」みたいな反応される人も多いかもしれないですが、僕なんかは、この書き手のやぶれかぶれの”feel so good”感と言いますか、この詩が書かれた現場の「気分の良さ」が妙にしみじみと伝わってまいります。背景を言えば、1910年代欧州で爆発したダダイズムの1920年代日本における受容において、反権威・反知性による虚無・攻撃・破壊のみならず際限ない自己拡張感を特徴として一群の若者が湧いていたわけですが、端的に林芙美子が言い切ってみせたように
天才は一人もいない。自分だけが天才と思っているからよ。それ故、私たちはダダイスト。只何となく感じやすく、激しやすく、信念を口にしやすい。何もないくせに、まずここんところから出発してゆくより仕方がない。
ー林芙美子『新版 放浪記』第三部 青空文庫
また当時、ダダイズムだけでなくアナーキズム、未来派、構成主義、マルキシズム、etcの様々「イズム」が混交した「空気」が枠型としてその表現を象った時代なので、ざっくりとした大枠で言えば、これが当時の若者らがかぶれた前衛(アバンギャルド)の「空気」感であったと思っていただければと思います。
そして皆とにかく「腹がへつてたまらない」。みんなして飢えている。これは精神的にも物理的にもです。当時の前衛詩人らと自分を並べてその「貧しさ」を愚痴るこの『放浪記』だけでなく、先ほどの『ある「詩人古本屋」伝 』を読んでもわかりますが、あの頃の若い女も若い男もとにかく貧乏で借金まみれでその日の飯にさえありつくことさえ困難な生活をしていながら、眼を血走らせて荒唐無稽な「宇宙遠征を計劃中」だった。
そして『放浪記』にはこの飢えながら「宇宙遠征」企てていたもう一人の重要人物、林芙美子にとってより深刻な人物が登場します。先ほどのドンザッキーの登場シーン(実はドンザッキーはここだけの「出落ち」なんですが)と相前後するようにして
野村さんと握り飯を分けあって食べる。三角の月とか星とかの詩を読んでくれたけれども、さっぱり判らない。詩を書くには泣くことも笑うことも正直でなければならない。貧乏してまで言葉の嘘を書く必要はない。白秋が好きだと云ったら野村さんは笑った。
ー林芙美子『新版 放浪記』第三部 青空文庫
作中、林芙美子が恋に落ちて、というよりは放浪生活に疲れて果てて嫁いだ先の「野村さん」=野村吉哉も同じく前衛詩人であり、林芙美子とともにドンザッキー主催同人誌「世界詩人」寄稿者でもあります。
実は野村吉哉の「三角の月とか星とかの詩」に関しても、変電社としてはちゃんと紹介したいわけですが、そしてこの詩人のこの詩集が国立国会図書館近代デジタルライブラリーにちゃんと所蔵してあるのですが、やはり残念なことに再び当サイトでの表紙サムネイル利用許諾がおりませんでした!理由は本作も「著作権法第67条第1項により文化庁長官裁定を受けて公開 」のため国会図書館側ではその判断が出来ません。
『三角形の太陽 : 詩集』(コマ数:87)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/925494
著者:野村吉哉
出版者:ミスマル社
出版年月日:大正15(1926)年
国立国会図書館デジタル化資料「近代デジタルライブラリー」
※こちらもリンク先でちゃんと読めますしPDFダウンロードできます。
この野村吉哉が何者かというと、以下引用で
野村吉哉
1901-1940 昭和時代前期の詩人。 明治34年11月15日生まれ。染物屋,印刷屋などではたらきながら詩をつくる。雑誌「新興文学」「世界詩人」などに現代社会を風刺した詩や評論を発表した。のち,雑誌「童話時代」を創刊,児童文学に専念した。昭和15年8月29日死去。40歳。京都出身。詩集に「星の音楽」「三角形の太陽」。
デジタル版 日本人名大辞典+Plus「野村吉哉」
ドンザッキーと同じく『三角形の太陽』最初の章では誇大妄想狂ともとれる権威冒涜ならびに社会風刺な詩が散乱しており典型のダダ詩人で、嫁いだ林芙美子に
私は男をこんなに憎いと思ったことはない。私は足蹴あしげにされ、台所の揚け板のなかに押しこめられた時は、このひとは本当に私を殺すのではないかと思った。私は子供のように声をあげて泣いた。何度も蹴られて痛いと云う事よりも、思いやりのない男の心が憎かった。
毎日のように、私は男の原稿を雑誌社に持って行った。少しも売れないのだ。何だかもう行きたくなくなったのよと冗談に云った事が、そんなに腹立たしいのだろうか……。ー林芙美子『新版 放浪記』第三部 青空文庫
と書かしめた駄目な男です。結果「今日から、ものを書く男なぞ好きになるのやめよう」と。あげくに「私の詩はダダイズムの詩であってたまるものか」と彼の作風ごと吐き捨てられ、結婚生活は1年足らずで破綻したわけですが、今回こちらの野村吉哉の詩集を読んでちょっと驚いたのが、例えば、
飽きた貧乏
私はもうすっかりこのごろ貧乏に飽きてしまった
いもを食って
水を飲んでくらすことに
もうすっかりあきてしまったお金のたくさんこれる氣樂なしごとにありついて
美しいお嫁さんをもらって
暮したのしむ私になってみたくなったことだー野村吉哉 『三角形の太陽:詩集』大正15(1926)年
あれ?これ林芙美子か?と見紛うかのような素朴で野太い地声の詩です。野村が度を超したドメスティックバイオレンス(ナイフを投げつけるなど)を彼が繰り返してしまったのも、詩人同士が夫婦になってしまったことで必然的に生じた「弱い詩人」としての『影響の不安』なんだろうか?『放浪記』に書かれた事が全てが全て真実ではないのであろうことを加味しても驚きました。
驚いたついでに再び、NEXUS7で『三角形の太陽』で変電社活動している写真を挿絵として入れておきます。
↑こんな表紙です。なおまた下世話なこと書いておくと古書取引価格は現在42,000円でした。
野村吉哉は昭和15(1940)年で亡くなります(おそらく作中でも病んでいた肺病)が、今回改めて読み直して気づきましたが、実はこの「野村さん」が出てくる箇所は『新版放浪記』第三部です。でこの第三部は過去の『放浪記』『続放浪記』をまとめて改訂して戦後に付け足した部分にあたりその発行は1946年です。既に野村は故人であり、その位置から振り返られているんですね。そう考えると様々な描写も泣けてきます。「寝ている人は全身で起きていて、あのひとも辛いに違いないと思う。辛いからなおさら動けないのだ」。
さて。話をドン・ザッキーに戻すと、彼も詩壇からふっと消えた後、青木正美氏が丹念に足跡を追ったように密かに詩論や詩を書きながら目白で小さい古書屋を営み、戦後は東京古書組合の理事になるなどのして戦後を送り1991年青梅の老人ホームでひっそりと息を引き取ります。
その詩才のあるなしを問わず「そうやって」あの時代に痙攣しながら数片の詩を編んでんでふっと退場(生死を問わず)していった詩人らは多く、もっとひっそりと音も立てず退場した詩人等は大勢います。
といったわけで、詩を読むなんて行為が現在においてどれだけ求められているか僕にも分かりませんが(その癖非常に長くなりましたが)、時代背景も含めて国会図書館でもこの周辺の「詩」は興味深い作品が隠れており、個人的には掘り返してみていくつか謎な詩片詩人を発見できていたりもしてますので、たまには消えた詩人の「詩」なんてものも触れてみるのはいかがでしょうか。
今後も僕も気が向けば「詩」も出してまいりますが、しかしあれ詩集を電子書籍として見た場合リフローに抗うところのフィックスコンテンツ(もっともリフローに向いてる詩もある)であり、分量も薄いので、実は良コンテンツなんでは?と錯覚もしています!
最後にご紹介。
『放浪記』執筆中で野村吉哉とドンザッキーと邂逅していた頃の林芙美子の詩集です。こちらはサムネイル紹介できます!
『蒼馬を見たり』(コマ数:66)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1028280
著者:林芙美子
出版者:南宋書院
出版年月日:昭和4(1929)年
国立国会図書館デジタル化資料「近代デジタルライブラリー」
こちらは全コマ転載再配布許諾もらえたので近日いくつかの作品とまとめて公開予定です。手っ取り早く読みたい方は青空文庫版でどうぞ。
(※しかし野村吉哉は1940年死去であるので著作権的には「保護期間満了」ではないかと思うわけですが、何故か国会図書館では「文化庁裁定」による公開扱いですね。ここは問い合わせてみるべき?)
“林芙美子と野村吉哉とドン・ザッキーと「詩」の時代 【レビュアー:持田泰】” への6件の返信