【野川隆生誕114年記念】芥川賞第14回候補作『狗寶』『作者の言葉』ならびに前回未収録最初期エポック時代詩作『風と詩人』公開【變電叢書近日リリース宣言】

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唐突ですが、社主持田です。

本日4月23日は野川隆114歳の誕生日にあたります。

野川隆著作集を公開をを目指しておりますが、公私にわたる多忙ゆえに手間取っておりまして非常にお待ちいただいている皆様、また「詩人の魂」に面目ないところですが、近日必ず出しますのでしばしお待ち下さいませ。

本日は後期野川の一つの到達地点で戦前期芥川賞第14回候補作にもなった短篇「狗寶」の公開と、野川の一つの源流たる最初期『エポック』時代の試作「風と詩人」を公開いたします。

野川隆『狗寶』昭和16(1941)年下期年5月

『狗寶』

ちなみに日本の常用漢字にない

ウイ
ウイ

なる名の登場人物に関しては外字を使用しておりますが、昨晩唐突に公開を思い立ってお手伝いいただいた變電社技術工作隊原田晶文波野發作先生スペシャルサンクス引き続きヨロシクお願いいたします。

初期詩作から一気に後期に飛ぶと、こうまで作風が変わったのかと全く驚愕するころであります。後日もう少しこちらの作品レビューに触れたいと思いますが、今回は野川自身によりレビューで。

野川隆『作者の言葉』康徳9・昭和12(1942)3月

『作者の言葉』

野川が内地から逃れるようにして渡った「外地」中国大陸で何かを見出し、さらに手応えを得て、以前も紹介した彼の『哈爾賓風物詩』の「エミグラントに生きる」精神よりさらに大陸の深く深く潜行していく詩人の後ろ姿を見るようであります。

なおその後の野川の足跡は同年太平洋戦争勃発直前にあたる11月「合作社事件」の一斉検挙された50余名のうちの一人として収監され、その後、奉天監獄での過酷な環境の中で衰弱し、仮出獄が認められたが昭和19(1944)年12月23日奉天医大病院で死去したことは既に伝えております。「潜行」を図ることがほとんど出来ないままに世を去りました。

今回も「放物線」の距離を測るべく、最初期も同時に紹介いたします。

野川隆『風と詩人』大正11(1922)年11月

『風と詩人』

こちらは前回の「野川隆著作集1」公開時にはどうしても探し出せず収録断念した作品ですが、国立国会図書館デジタルコレクションの目次データ漏れていたために検索に引っかからなかったのですが、後日ようやく見つけ出せました。最初期の「沼の水蒸気」も回収できておりますので、著作集には追加させますのでお待ちください。

きさまは、きさまの書くどの詩よりもつと深刻な、
自殺した狂人の(血みどろの死骸)といふあさましい詩劇を演るが、いい!

この「風」の最後の捨て台詞は意味深でありますが、予言的であったとは全く思いません。野川隆晩期は間違いなく狂気とは違う方面へ向いておりましたので。もっとも疾風怒濤の時代が幕開けんとした1922年。その後の彼は前期詩編でもわかりますように、「靜かな詩」を捨て「外のあらあらしい風が、星とともに」ある世界へと離陸していきます。彼はその後も何かを振り捨てるように作風を変えていきますがそれが彼の放物線です。引き続き詳らかにしてまいりますが、本日はこれにて!

以上、あっさりとですが、どうしても本日4月23日中には何かを公開しないことには!という意地だけで、仕事明けに渋谷のカフェで温めていた作品公開を敢行いたしました!どうぞご賞味ください。

また近日トルタルでも野川隆の生きた時代と世代論を公開していきますので、こちらも乞うご期待!

詩人の魂に。
お誕生日おめでとうございます。
そしてどうぞ安らかに。

持田 泰

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