ご無沙汰のレビューでございますが、ガチを行きます。暑い日には暑苦しいことをするに限るという奇怪な信条を持つ社主代理持田です。ひょんなことから某版元某氏と川端康成がいかに「変態」であるかの話で盛り上がって、いい契機だと積読だった小谷野敦『川端康成伝 – 双面の人』を読んだことから、川端康成作品飛んだはずの興味の弾道が、盟友横光利一に着弾して、いろいろ国立国会図書館デジコレ漁っていたところの収穫結果として、今回は「過渡期の横光」ってことで暑苦しくビッグネームを取り上げます。ちなみに言わずもがなの横光利一に関して不明な場合はこちら参考ください。
もっとも「過渡期の横光」と言いながら横光利一自体が熱を帯びた時代の過渡期の文学状況そのものでもあるかのような作家ですが、その中でも「真夏の最高気温」を取り上げようではないか、ということです。夏フェアですから。もちろん横光ともなれば青空文庫でも結構数収録されているのですが、前から指摘していることですが、文脈がなくアイウエオ順で並ぶことで、その作家の重要な過渡期がわからない。またやはりこれも重要なことですが、青空文庫でも抜け漏れも多い。にもかかわらず「横光利一はこれだけ読め」なる上目線のわりには単なる青空文庫を編纂しただけの電子書籍が売られているのを見ると、まあ好き勝手にやっていただいて結構でありますが、一応変電社としては横光利一ではわりと重要作品の抜けが、青空文庫また戦後編纂された各種文庫本でも多いよ!てことを指摘しておきます。
だからこそ、そんな時は開いててよかっ国立国会図書館近代デジタルライブラリーでございます。 ありがとうデジコレ、I♡NDL
横光利一の代表的な「真夏日」作品といえば、新感覚派の代表作品であり、かの宮沢章夫氏がを11年かけて読んだことで伊藤整文学賞評論部門取ったこと(『時間のかかる読書―横光利一『機械』を巡る素晴らしきぐずぐず』)でも有名な『機械』1930(昭和5)年でありますが、その『機械』を含めて5作品に対して、先の川端は『昭和五年の芸術派作家及び作品』(「新潮」1933(昭5)年2月)にて「更生的な冒険を重ねながら、新しい文学に希望を与へ」たと書いています。その5作品とは何かというと『高架線』『鳥』『機械』『鞭』『寝園』です。
これらの5作品は全て横光が芥川龍之介に唆されて上海滞在後に挑んだ初の長編『上海』の執筆中にポロポロと生み出された作品群であり、伊藤整を始めとして当時の文壇に大きな衝撃を与えたわけですが、この時期の横光作品は現在において青空文庫や汎用文庫本等で簡単に読めるものが実は多くはありません。『鳥』『機械』『寝園』くらいなもので(なお『寝園』は今だ青空文庫化されていませんが、講談社文芸文庫で電子版になっていたのでそのリンクを張ってます)、他は大学図書館で分厚い全集でも漁らない限り読めません。上海滞在からかの悪名高い『純粋小説論』(1935(昭和10)年)までを「過渡期の横光」として考えるとその期間に熱を帯びた面白い作品が結構多数あります。
その意味で刊行本ごとまるっとスキャン保存している国立国会図書館デジタルコレクション近代デジタルライブラリーは最高でございます。当時の本がそのまま読めるよ!データでねというのは実に偉業ではありませんか!
なわけで私誠に勝手ながら「【夏の変電書フェア’14】「過渡期の横光」短編集」と題しまして三つほど見繕いました。
その前に、正月のリブート宣言1回目あたりから恒例(?)の国立国会図書館歴史音源れきおんから「記事の気分」としてのBGM(スマホでは聴けないけど)を選定しているわけですが、今回も見つけました。イタリアナポリ民謡和訳の「サンタ・ルチア」(作詞・作曲・編曲・実演家:羽衣歌子/製作者(レーベル):ビクター/発売年月日:1932年8月)。こちらを本日のBGMといたします!過渡期の横光と同時代だから横光自体も蓄音機から流れるこの音を聴いていたかもしれませんよ!またこれを聴きながら後段で紹介します『鞭』を読むと上等なコメディ(ブラック)を読んでいるかのような気分になりますぜ!これは試してもらいたい!
まずこちらは先の川端が上げた5作品に入る『高架線』がタイトル通り収録されておりますが、他にも『笑った皇后』『負けた良人』『古い筆』『恐ろしき花』など青空文庫や汎用版文庫本では読めない短編が多数あります。『高架線』は『機械』直前期の横光の綿密な文体及び構成とその上海経由の都市の汚穢なる非理想を明確に切り取っておりますが、ざっくり内容説明しておきますと、ある路線の高架線を建造するための鉄材置き場が浮浪者たちの住処になっており、その浮浪者を監督する爺さんと、まだ地上路線が走っているのでその踏み切り番の爺さんの友情世話物ですが、その「高架線」が出来てしまえば二人は失業するというアイロニカルな設定のその社会性と、ネチネチとして改行の少ない文体、またその人物を含めて事物を「眺めている」ような映画的ともとれる描写は、「新感覚派」と呼ばれた一派のある特徴的なスタイルでもあり完成形です。『笑った皇后』という戯曲ではローマ皇帝暴君ネロの盛衰の題材にしながらラストシーンは非常に映像的で、またこの中でも妻の「不貞」に関するトライアングルが『負けた良人』また『烏』でもこの時期横光が常に取り上げるテーマですが、綿密に回りくどく「寝取られ(NTR)」の自意識を語りながら最後は非常に映像的な描写で唐突に終わります。
続いて表題作『機械』を含むこちら白水社の短編集ですが、この中では川端の指摘した『鞭』が入ってます。また青空にはない『眼に見えた虱』『父母の眞似』『悪魔』が入っており『悪魔』に関してはやはり重要作品です。
『鞭』は上海便船で事務長宛一等船客の某が自殺のおそれがあると無線電信が届いたところから始まるショートストーリーですが面白いですねえ。
しかし何が贅沢だからと云って他人に自分の自殺するのを報しらしめるほどの贅沢はこの世にはなかろう、全く無駄なことをあかの他人にさせ続けてそして最後は自分はのんきに死のうといふのではないか。生きてゐるものと云うのは死ぬもののために生きてゐるのではないなどど私ひとり旨の中で乙竹順吉にぷんぷんし始めて来たのだが、それにしてもこれから明日の三時まで饒舌り続けてゐなければならぬと云ふのは死と競争してゐるようなものである。ー横光利一『鞭』
この頃の横光の描くところの主人公は非常に飄逸で滑稽です。またその高速度に回転する自意識は心情よりも理知であるので、非常に乾いていて酷薄であるがゆえに、単なるユーモアで終わらせない残酷な決着をつける傾向があり、僕は漱石初期作品印象「猫」なんかをなんとなく思うところです。おなじく『悪魔』においてはどうやら好き同士でありながらお互いを「悪魔」と認識する教会におけるツンデレ男女ですが、男子視点のネチネチとした自意識でありながら不思議と滑稽です。そして不思議と残酷です。こういった部分は表題作『機械』でもあるのですが、おそらく『機械』だけではよくわからないこの時期の「横光らしさ」です。
少し変わり種で変電的な品を。こちら岩波新書で刊行された横光利一短編集です。岩波新書のWikipediaにも書いてるところ引用しますと「1938年(昭和13年)11月20日に岩波書店が創刊した新書シリーズである。古典を中心とした岩波文庫に対し、書き下ろし作品による一般啓蒙書を廉価で提供することを目的に創刊され、新書と呼ばれる出版形態の創始」ですが、初期に今と違って文芸作品をシリーズに入れていたんですね。ちなみに旧赤21がこの横光『薔薇』ですが、次の旧赤22が川端『抒情歌』です(さらには旧赤18里見弴『荊棘の冠』、旧赤19山本有三『瘤』旧赤20が久保田万太郎『春泥・花冷え』)。また一部面白い発見として、奥付が初版の13年11月15日ですが、
「りいち」ではなくて本名の「としかず」でルビが振られていました。※もっとも昔はこの音読み訓読みはおおらかな時代だったので間違いというわけではないかとは思います。
さて本短編集は私が設定している「過渡期の横光」期の1928(昭和3)年〜1935(昭和10)年から少し逸れた1938(昭和13)年出版ですが、編纂されているのは過渡期の短編・随筆です。やはり青空文庫にない『薔薇』1932(昭和7)年6月『雪解』1933(昭和8)年3月『歴史』1931(昭和6)10月等名品があります。
まず『薔薇』は横光が1928(昭和3)年に中学の後輩を訪ねて上海へ渡った事実を脚色構成されてますが、その後輩が持っていた薔薇の中の美少女の二葉の写真から、東京に結婚して住むその女性に手紙を届ける伝書鳩の役目を引き受けつつ、その恋を邪魔しようとしている、また入り組んだ主人公の話ですが、この富んだ設定は非常に何か江戸川乱歩的な感じがします。
『雪解』は「ゆきげ」と読みますが横光自身の三重県伊賀上野の下宿時代の初恋の話です。こちら伊賀上野観光ではどうやら必ず紹介されているようですが(紹介サイトも散見)その作品が青空文庫でも汎用文庫本でもとくに収録されていないという現実に驚きます。
卓二が少年期もそろそろ終わりに近づいてゐた日のころである。彼は城を後にした街の通を歩いていくと、突然十二、三になる一人の少女が彼の傍を脱兎のごとく駆けぬけて、急にくるりとこちらを向くと、腰を折って笑ひ出した。彼はそれがあまりにも不意の出来事だったので、その少女の動作を思わずぢつと眺めずにはをられなかつた。多分少女は後から追つかけて来た仲間の者をからかふつもりらしく、卓二が傍まで歩きつづけていつてもまだなかなか笑ひとめそうもなかつた。 卓二がその少女を見てから停つてゐる彼女を追ひ抜いてしまふまで、僅か二十秒とは経つてゐないにちがひなかつたが、彼は町を歩いてゐて、その少女ほど美しいと思つた少女を見たことがなつた。彼はむしろそのとき、たぢたぢと恐れを抱いてその少女の傍を通りすぎたほどであるが、彼女の少女らしいといふ少女ではなく、十二、三歳でもう美しい大人の表情をしていた。ー横光利一『雪解』
という素敵な出だしの可憐な初恋モノですが、そのモデルと宮田おかつは横光が早稲田大学英文科入学後作品を発表し始めた頃に急逝しているそうです。
つづいて『歴史(はるぴん記)』というエッセイが個人的に一番の収穫で、外地日本の残酷な史実の中の一抹のメルヘンを感じるものです。横光が1930(昭和5)年9月に大連、ハルピンまで出向いて紀行を書きたいと思いながら諸事情で果たせず印象を忘れないためにハルピン日日新聞の古新聞を送ってもらいながら読んだ在ハルピン日本人の古老たちの話「ハルピン草分座談会」なるが特集が面白く
それ故このやうな珍しい話はそのままにしておくのも惜しいと思ひ小説の形にでも書いてみようと思ってゐたのだが、小説とするにはあまりにも實話的な面白さの方が勝ちすぎるので、今まで書かずにそのままにしておいた。ー横光利一『歴史(はるぴん記)』
それをさらっと伝聞随筆という形で一筆書きに描いているのですが、明治期からのハルピンにおける日本人入植の歴史は確かに非常に面白く、明治期は二葉亭四迷が密偵的にハルピンの街を暗躍していたりした事実や、日露戦争開戦に日本人引き揚げ命令が出た際の逸話は、確かに「實話的な面白さの方が勝ちすぎ」ています。引き揚げの話は、最後まで逃げる金がなくてぐずぐずと残留していた日本人達がシベリア鉄道欧州経由で退去させられ、集団で銃殺されるものと思っていたら、非常に丁重に親切にロシア人将校らに扱われ、また退去経路で各地で中国人として潜んでいた日本人(主に売笑婦たちとその関係者)が合流して雪だるま式に増え続け最終1000名近い日本人が欧州へ退去して行く中で、途中でお金がつきたら街で働かせてもらったり、さらには戦況が日本がロシアに勝利していることで、通過する街街でバンザイコールで歓迎歓待されドイツを抜けて地中海を経由して日本に帰国しているが、
その間ハルピンを立ってから9ヶ月もかかっているが、彼等の間で台湾まで来るまでに二百組に新しい夫婦が出来上がってゐて、それを今でも引揚夫婦といふのださうであるが、そのまま今もなほずっと夫婦生活を続けてゐるものも澤山あるとのことである。ー横光利一『歴史(はるぴん記)』
というほのぼのとした史実が書かれていますが、この作品の初出の1931(昭和6)年から14年後、日本の敗戦及び満洲国の崩壊による大陸引揚げ者たちの悲惨な史実とは真逆の性質ゆえに強くメルヘンを感じるわけです。最後横光はこのタイトル「歴史」についてこう述懐いたします。
この題に歴史といふ見出しをつけたのはあまりにも大げさだと思うふが、しかし、私は集團の歴史を事實そのままに書いてみたのは今が初めてのことなので、書き進めて行くに従つて、歴史というものは「事實」と少しも違はないにもかかわらず、「事實」と違うところは「事實」の取捨選擇をすることにあると今さらに氣がついたからである。つまりこの一篇は取捨選擇といふ意味にとってもらへば幸いである。ー横光利一『歴史(はるぴん記)』
なのでこの裏には悲惨な話の「取捨選択」もできるというニュアンスかと思われますが、ここでそろそろ記事の〆として強引に私の今の変電活動へと接合すると「取捨選択」でもって忘れされている「事実」としての「作品」は、例えば今回横光作品を国立国会図書館デジタルコレクションを漁ることで、手間さえ惜しまなければ諸々楽しい「事実=作品」を拾い上げることができる時代になったなと。つまるとこと各人が大量にある「裸の事実=データ」群の前で、各人思うところの「歴史」を編纂してしまええるような時代になったわけですね。楽しい。よって変電社持田も引き続き取捨選択される前のデータアーカイブへ果敢にサルベージを敢行し、読んでみて楽しい作品の歴史を露出させてまいります。【夏の変電書フェア’14】はまだ続くよ!
社主代理 持田 泰
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