平成27(2015)年明けましてお目出度うございます。社主・持田です。昨年末の變電叢書『野川隆著作集1』発刊は幸い多くの皆様からのいいね!ならびにシェアご支援のお陰で想定以上に多くの方にDLいただけたようで、誠に感謝しております。「年内無料配布」の約束通り無料版EPUBのDLは停止しましたが、校正漏れもやはりいくつか発見しましたので修正後正式版のストア配布まで少々お待ち下さい。サイト上でbib/iでの公開は当分続けますのでWebで御覧くださいませ!
また昨年末からの社業務報告となりますが、まずはパブリシティとして、12月29日発売の宣伝会議2月号に毎度おなじみの池田敬二氏「歌う」宣伝工作により志村一隆氏記事として掲載されました!久しぶりの快挙万歳!
しかしこう掲載されたにも係わらず「変電社」をこけおどし旧字の「變電社」表記へと12月23日70年周忌弔い復刊の際に変更していますが、こちら正式社名変更というよりは「変電社」も「變電社」もどっちでもOKの屈託ない精神で参りたいと思います。つまりSEO的にも。また手書きで書く場合を恐れて。
また、唐突ではありますが私持田は長らく「社主代理」として振る舞ってまいりましたが、これも昨年12月23日復刊の際に「代理」を外させていただき、勝手ながら「社主」として立つことにいたしました。『野川隆著作集1』のようにEPUBパブリッシングを今後も実践していくのであれば、「発行人」としての責任曖昧化を防ぐ意味もあります。よって變電社社主持田、2015年は「覚悟」の年ってやつです。本年も引き続きご愛顧賜らんことをよろしくお願いいたします。
そしてこれにより唐突ですが第一期「変電社」を解散とします。そして第二期「變電社」社中を緩募いたします。同時に結社趣意を改めまして新たな第二期第一宣言にあたる變電社第七宣言といたします。
變電社第七宣言
まあなんのことはない宣言の態での今年の抱負にすぎませんが、まず變(変)電社の紹介文を以下のものから
「変電社」は結社です。スタンスは「電子書籍読者」です。ざっくり言うと「変な電子書籍っていろいろあるから読んでみようや」結社です。転がっているデジタルアーカイブスをいろいろdiggin’して電子「古書」としてサルベージしたら面白いんじゃないかと思っている人の準備会です。
以下へと修正を加えました。
變電社は転がっているデジタルアーカイブスをいろいろdiggin’して「電子古書」としてサルベージ復刊を目指すインディペンデント・レーベルです。
つまり準備はもう済んだのだ!気合いのデジタル・パブリッシャー宣言です。記念すべき野川隆集から「變電叢書」をロンチしたとおり(まだ非売でありますが)、今後變電社は電子「叢書」刊行を実践してまいります。
なわけで最近ご無沙汰の国立国会図書館歴史音源れきおんから「記事の気分」としてのBGM(スマホでは聴けないけど)ですが、今回は「流行唄:港はなれて」(西岡水朗[作詞]奥山貞吉[作曲・編曲]松平晃[実演家]/製作者(レーベル):コロムビア(戦前)発売年月日:1933-08)でどうぞ。なんか正月っぽくて良い。
「變電叢書」刊行予告
- 第一篇 野川隆著作集1 前期詩篇・評論・エッセイ 2015年1月予定
- 第二篇 野川隆著作集2 中期詩篇・評論・エッセイ 2015年2月予定
- 第三篇 野川隆著作集3 後期詩篇・小説・評論・エッセイ 2015年3年予定
- 第四篇 橘不二雄『腕の欠伸』(未定)
四篇は変電社復刊宣言(第6宣言)予告しております橘不二雄ですが、こちらが所謂「オーファンワークス」のためまだ皆目見当がついておりませんが年始に諸々調査アクション実施予定です。「變電叢書」可能なら2015年内に第五篇〜気合いで十篇くらいまで出せればいいなと思っております。もしかすれば『朝から夜中まで』もしくは青空文庫未収録の『過渡期の横光』作品アンソロジーを出すかもしれませんし、さらには『技師ガーリン』を復活(!)ラインナップさせるかもしれまんしまったく別の作品にフォーカスするかもしれません。実は『白山の野郎ども』調査の結果新たに面白い経歴の詩人らが発掘されていて、
前回の白山詩人第一号奥付から今回は追加で黄色の枠の二名です。「角田竹夫」「勝承夫」なる人物ですが、こちら二人ともやはり「20世紀跨ぎ生まれ世代」の「白山の野郎ども」系譜の洋大詩人の一人です。ともにアバンギャルド系ではない詩派ですが、角田竹夫『微笑拒絶』がNDLデジコレでは「インターネット公開(許諾)」で閲覧可能です。またこちらで詳細がありますが、没年情報現状不明です(これは許諾ということは、著作権利相続者の許可を取っているというこですが)。そして角田は実は先の變電叢書『野川隆集』でも登場してきており、
“●竹の小路で(角田竹夫)
どうも困る。角田君はまだ「新詩人」時代の臭味を脱して居ない。新しく「出發して」くれることは有難たいが、かう云ふ詩を棄てて突進してもらひたい。”變電叢書『野川隆著作集1』「太平洋詩人二月号の詩」
と野川隆に叱られている詩人でもあります。そしてこの角田と、上の『白山詩人』「會友」欄にありますが黄色枠入れてませんが岡村二一と赤枠の岡本潤、多田文三らと『紀元』という詩誌を作っていたのが、もう一人の人物である「勝承夫」またの名を「宵島俊吉」です。
勝承夫 Wikipedia
この方ももちろん「20世紀跨ぎ生まれの世代」であり、東洋大学出身「白山の野郎ども」の詩人であり、おそらくこの「會友」の中で最も世間的に成功した人物ではないでしょうか。戦後文部省音楽教育分野にプロパーとして数々の校歌の作詞家として活躍され、また「日本音楽著作権協会会長」(JASRACですよ!JASRAC!)であり、また本日青山学院大学初優勝を果たしました「箱根駅伝」にも関わりがあり、以下Wikipedia引用ですが、
昭和28年(1953年)に「駅伝を讃えて」を、読売新聞紙上に発表。この詩文は、箱根駅伝第60回大会を記念して詩碑として刻まれ、往路ゴール・復路スタートの地点である芦ノ湖の湖畔で見ることができる。
のだそうです。こちらいつものでんでんコンバーター to bib/i で引用公開してしまおうかと思ったのですが、JASRACが恐いので變電社はPDではないものの引用は学術調査利用以外は載せない方向で考えておりますので、ググっていただければと思います。市井の駅伝ファンサイトを参考ください。
またこちらのブログで誠に詳細に渡り「勝承夫」の事実を丹念に調査記載していただいており、戦前東洋大詩人調査の後発隊としては非常に勉強になり助かりかつ感動いたしました。
猫面冠者「番外編:“若き天才詩人”宵島俊吉(=勝承夫)」2009/09/04 00:07
かの木山捷平が勝承夫をあこがれて入学してきたというのだから驚きです。「今で云へば、三島由紀夫と太宰治を一緒にしたやうな人気があった」と井伏鱒二に語らしめるような人物であったとは!そしてまさか僕の個人的ランニングコース多摩川・浅川合流地点にある都立日野高校校歌の作詞家であったとは!
もっとも「勝承夫=宵島俊吉」は戦後東洋大理事長になるなど大いに立身出世され1981(昭和56)年8月3日までご存命であったために、残念ながら(?)オーファンでもなく、パブリックドメインではありませんので「變電叢書」として出すことが難しそうです。よってNDLデジコレの「インターネット公開」コンテンツはありませんが、「図書館送信限定」「国立国会図書館限定」では読めるようです。今度また都立図書館国会図書館行った際は閲覧してみようかと思います。
野川隆と勝承夫
しかし一個の詩誌に参加した面子をながめて、それぞれの詩人の人生行路がまざまざと映し出されてくると、なんとも感慨深くありますが、かような三島太宰と並び稱されたようなカリスマヤングポエットの右旋回の軌跡描いた先に着地した「校歌」詩人・JASLAC会長・大学理事長として天寿を全うした生もあれば、「藝術革命派から革命藝術家へ」左旋回の放物線を描きながら落ち延びるように満洲に渡り獄死に近い形で没した生もあったわけです。
今回の變電叢書『野川隆著作集1』追って諸々フォロー解説していきたいと思っておりますが、掲載誌毎編年体式に並べたせいでかの「G・G・P・G」時代の「最前衛」期が一番最初に詰まってしまっているせいで相当に濃い感じの『著作集1』になってます。
もっともここらは相当にすっ飛んだ頃の野川の無頼っぷりが解るとともに、研究者以外は人目に触れることもなくただ書庫に眠り続けているだけの詩であり非常に貴重であり個人的には大変面白いわけですが、今回の『著作集1』の後半部分には野川中期へ離陸し始めた頃の平明な詩も治めています。
章で云うと、『文藝解放』『太平洋詩人』『銅鑼』の大正15年~昭和2年にかけての時期で、野川が起稿している記念すべき『文藝解放』第一号は来なかった大正16年1月1日発行予定であった事実も非常に面白い、その昭和2年春には過去の前衛期の難解さを総括して「橋よ燒けろ」発言を書いていたりもします。
そして中期への離陸が決定的となるのが草野心平『銅鑼』(ここには生前の宮澤賢治や八木重吉も詩を発表しています)に寄せた「旋風」であり、野川隆の同人参加を草野心平が非常に喜んでいる後書きなども殘っていますが、前期野川からは想像のつかない平明でまっすぐなプロテストソングを歌い始めています。
ここで「歌う」と書いたのは、まさにその方向へ野川がシフトしようとし始めていた経緯などはまた中期野川の著作集2への準備のために後日書きますが、そんな「旋風」を毎度の池田ゲバラ隊長が早速歌ってくれております!
Check this out!
この「歌う」方面へ詩を持っていこうとした野川と、やはり「歌う」方面に活路を見いだした勝との、まるで左右鏡合わせのような二人の細かい生の比較検証は逐次触れてまいりたいとも思いますが、それが『野川隆著作集2』の準備ともなるはずです。
「變電叢書」紙刊行予告
さて脇道それましたが、なにはともあれ今回の變電叢書第一篇『野川隆著作集1』近日bccksでの展開の際に新書サイズで紙も刷る予定です。今回もカバーデザイン担当の牧瀬”アリアリ”洋氏が最高のを仕上げていただき誠にありがとうございました。背表紙・裏表紙入れるとこんなにイカす!
まさに僕の期待を超えるクールなデザインでMerzであり、この戦前の「新興藝術派叢書」的なものを所望したところそれを超えるいかすモダンなデザインで社主大満足です。
実際に野川隆詩集が当時発行されていればこのテイストであったに違いないと思えており以下『極東ロシアのモダニズム1918ー1928』町田市立国際版画美術館図録画像の比較検証のために転載しますが、
この「變電叢書」が古本屋に上記詩集と並んでいても遜色ない(!?)ではないか!と心から歓喜しておりますが、よって變電叢書三巻までを抱え持って2015年5月4日(月祝)開催「第二十回文学フリマ東京」で限定50冊つづくらいで出店しようかな!と企んでます!オーサリングも間に合うか!またも時間との勝負になりましたが、なにはともあれストア配布までもう少々お待ち下さいませ。
本年もよろしくお願い申し上げます。
變電社社主 持田泰
“【謹賀新年】第二期變電社ロンチ宣言と正月余談として勝承夫『駅伝を讃えて』と野川隆『旋風』フォークゲリラ【變電社第7宣言】” への1件の返信